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政治

2015.10.15

人生はドラクエVI 幻の大地

「人生はドラクエ」が持論のさくらですが、愛車さくら号が来てくれてからというもの、船であたらしい大陸への冒険をすすめて世界を広げつつあり、まさに「人生はドラクエそのもの」を体感している毎日です。

さくらがこれまで書いてきたもので最も気に入っているのが、このドラクエシリーズ。さくらの永田町生活をドラクエになぞらえつつ振り返りながら書いたのですが、そろそろ税調の季節でもありますので、いまいちど振り返っておきます。森政権(自民党支持率9%)~まさかの安倍再登板まで、さくらの思想史のような感じですが、自分で読み返しても面白いなあと思うので(笑)よろしければ皆さまもぜひ^^2000年からのざっくりとした流れのおさらいにもなると思います。

人生はドラクエI

人生はドラクエII 増税の神々

人生はドラクエIII そして伝説へ・・・

人生はドラクエIV 導かれし者たち

人生はドラクエV 天空の花嫁

“増税の神々”(税調インナー)の神々しさもいまは昔となり、まっちーも逝去されて神々の数も減り、今回税調会長に就かれる宮澤洋一さんも経済産業大臣時代、あろうことか法人税減税推進にまわるという「税調の矜持はどこに行った!!」という政策を推進されておられたので、財政再建増税正教的には「“官邸の犬”に成り下がった」と言えるでしょう。軽減税率を推進するということが、堕天使と誹謗を受けるようなことなのか、はたまたその悔悛改宗ぶりは聖パウロのように後に語り継がれることになるのか分かりませんが、どっちにしても財政再建増税正教(消費増税で恒久財源を得て日本財政を再建することを至上とする)以外の価値観がこの世にはあるわけですから、一神教の世界から多神教の世界があることに目覚めると、消費税を10%に上げないどころか、税率を下げる道だってあるなどというさまざまな政策オプションが当たり前に存在しているわけです。

「増税して財政を再建しなければこの国は持たないんだ」と思い込んでいたさくらがある種の洗脳から脱したのは、「この道しかない」という一神教の世界から多神教の世界へ踏み出したとき。最初は「消費税を上げるのが、なんでいけないの?」と思いながら、勉強をすすめていくうちに、これまで信じていたすべては幻でしかなかったんだということが分かった。そのときは、別に世界が音を立てて崩れるというような悲壮感ではなく、むしろ暗黒だった世界に光が差し込む喜びが広がり、疲弊しきっていたさくらの心に希望というほのかな明かりが灯ったという感じでした。

さくらがものを書いていくなかで、いちばん伝えたいことは。この国がいかに一部の既得権益にあずかる人たちのために動いているかということ。そしてそれは、羊のようにおとなしい国民からむしり取られている税金が原資であるということ。信じ込まされているさまざまな“常識”(固定観念や社会通念など)は、実は幻に過ぎないということ。未来(老後の心配)の幻影に怯えて、現状維持するために身をすり減らして現在を犠牲にし続けるのか、それとも明るい未来を自分で創造していく道を選ぶのか。何が現実で何が幻なのか、気付いた人が多くなればなるほど、“常識”が変わり、現実の世界も変わっていくのだと思います。

で、転職後の勇者あい改めさくらの職業はいったい・・・???

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2015.09.18

天ぷらや

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安保関連法案は、参院の出口(法案可決=成立に向けた採決)で盛大にもめているようですが・・・

ライトアップした議事堂の美しさは格別。その前には、採決に至る茶番もデモも、野暮だと思うさくらです(写真は共同の記事からお借りしました)。

参院の平和安全法制特別委員長の鴻池先生の長年の持論、「参院は衆議院の下部組織でも、下請けでもない」の表現をお借りして言えば、立法府は行政府の下部組織でも、下請けでもないはず。行政府が「ハイこれ、通して」と出してきた法案を、立法府は注文どおりに“揚げる=上げる”天ぷら屋に文字通りなってしまったという感じ。

そんなたとえ方したら、素材を厳選し、魔法のように美味しい天ぷらを作って出してくれる本物の天ぷら屋さんに失礼になっちゃうような、後味の悪い天ぷらが揚がりつつある感じです。

2015.09.13

We are with you!!

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ベンチャー企業
を立ち上げた石破さんに続いて、さくらの心を燃え上がらせるこの小泉さんのインタビュー。さすが男・小泉純一郎!!!あまりのかっこよさに、思わず朝日新聞を買ってしもたやないですか(^o^)

さくらがずっと小泉総理を絶賛し続けていたのは、「永田町通信」時代を覚えておられる方はよくご存知だと思います。小泉さんの考え方に共感共鳴し、自民党は改革政党なのだと大いに錯覚していたさくらは、いまもあの頃の感動と楽しかった日々を昨日のように思い出しては幸せな気持ちになれるくらい。あのとき小泉さんが真正面から自民党の支持団体=政官業一体“既得権益”トライアングルにケンカを売り、正論を訴えておられることにさくらは心から「本当にそのとおりだ!!!」と思い、思想的に違和感がないため広報の業務に何の疑問も持たず、張り切って仕事をしていました。

小泉さんは抵抗勢力=既得権益と戦ってきたまさに勇者ですが、一方ではほとんど票にならない環境を大切にする姿勢をお持ちの総理でもありました。当時は(いまも?)温暖化対策として、CO2の削減が大きな政策課題で、さくらはいまも覚えています。「公用車にエコカーを導入する」と所信表明演説で小泉さんが言ったとき、「改革なんて、そんな程度のものなのか」と軽い失笑すら起こった議場の雰囲気を。しかしその後、政府がエコカーを導入するということで自動車メーカーはエコカー開発を本格化させ、いまやこれほど一般にも普及するほどになりました。これは行政が主導して、民間の経済が引っ張られたという“良い政治主導”であったと思います。

福島の原発事故が起きる何年も前のことですが、機会があって浜岡原発を見学させて頂いたとき、さくらは大いに違和感を覚えました。「原発はクリーンエネルギー」。そんな歌まで作られていました。ただし、そう言えるのはCO2を排出しないという一点においてのみ。nuclear reactorを冷却するため、海から海水を吸い上げてそれをまた海へと排出している造りを目の当たりにして、さくらはそれ以来、海のものを食べる気がしなくなりました。「放射性物質とか、そういう影響はないんですか?」と質問しても、「それはまったく心配ありません」という答えが返ってきたとき、直感的に「そんなの嘘だ」と思った。たとえ微量であっても、そんなものを無神経にこうやって放出し、しかも「原発はクリーンエネルギー」と言っているような、その原発産業自体が「絶対こんなの間違ってる」と内心思ったけど、多少は政治的な振る舞いも身に付いていたため、口に出しては言いませんでした。その後、福島の事故のあともずっと、さくらは放射能汚染の被害を深刻に考えていましたが、自民党にいるかぎり、そんなことは公にはとても言えなかった。現実を直視して抜本的な対策を講じることなく、都合の悪いことは「起こってないこと」にして、安全安心であると強弁して「食べて応援しよう」とか、狂ってるんじゃないかといまでも思っています。

小泉さんもおっしゃっているとおり、原発関連の業界は多岐にわたり、電源立地交付金は当該地域にとっては死活的に重要な収入源であり、そこからまわりまわって政治献金として入ってくるそのおカネ、また選挙協力の大きさを考えると、真正面から小泉さんのほうに「原発は環境汚染産業」と言い切れる政治家はいないのかもしれません。小泉さんが本当のことをおっしゃっても、「総理のときには原発推進してたじゃないか」とか、「原発ゼロなんて言うのは簡単だけどね(それでは経済がまわらないんだよ)」などと頭でっかちな批判をする人たちがいまも後を絶ちませんが、「こんなこと続けてたら地球がもたない」という動物的直感も働かない、ハートで感じることを忘れた人たちに小泉純一郎の行動・男気が理解できるわけがありません

在職中は専門家の言うことを信じていたけど、自分なりに勉強して「政府や電力会社、専門家が言うこと」は全部うそだと分かった、「過ちを改むるに憚ることなかれ」。ここまで潔く、自分のとってきた政策の間違いを正面切って認め、そしてその間違いを正すことこそ自分の責任であるという政治家がなぜ小泉さん以外あらわれないのでしょうか。明らかに間違っていることを、間違いだと認めることができないため、間違ってないことにしようとして延々とその間違いを続けるため、都合の悪いことは「起こってないこと」として破滅の日が来るまで走り続けるなんて、そんな“勉強のできるアホ”のプライド死守に巻き込まれる未来なんて、さくらは真っ平ごめんです。

余談ですが、小泉さんは子どもに人気がありました。遊説先でも、土日なんかの街頭演説には小学生たちもギャラリーにあらわれて「こいずみそーりー」と大きな声で呼びかけ、その子どもたちに、小泉さんは「おお、ありがとう」「子どもは元気いいね」と街宣車の上から応えてくれるので、子どもたちはうれしくて何度も「そーりー」と叫んで、そのたび小泉さんは「ありがとう」と応えておられた微笑ましいやりとりも印象にのこっています。子どもに嘘は通用しませんから、子どもたちにも愛された世にもめずらしい総理であったのではないでしょうか。

消費税にしても、さくらは日本の財政、社会保障制度の維持に「これしかない」と信じていましたが、小泉さんのおことばを借りつつ言えば、さくらは自分なりに勉強して分かりました。政府の、財務省の、専門家の言うことは全部うそだと。消費税上げて、こんなに景気が悪くなるのに、その影響を緩和するためにさらに民から吸い上げて政府が分配するくらいなら、最初から上げなきゃよかったということでしょ。原発も財政も、もう嘘の上塗りはこれ以上やめて、間違った政策を推進した責任を、頬かむりしておかずにそれを正すことで果たしてくれれば、みんなにとってハッピーなだけでなく、嘘をつかないで済むから政治家もみんないい顔になると思うのですが。

「国民が変われば、政治も変わる。自分一人でもやる」。小泉さんは、一人ではありません。たくさんの、同じ思いを持っている国民がいます。心ある国民が力を合わせれば、日本の技術力をいかして真のクリーンエネルギーを実用化して、そしてそれが世界に広がって日本経済のあたらしい原動力になり、ひいては地球を救うのだと、さくらは心から信じて、あたらしい明るい未来の創造のため、自分のできることをがんばろうと思います!(^^)!

2015.09.10

石破派結成へ☆

空も青く高く、吹く風もさわやかになり、日が暮れるのも早くなりました。もうすっかり秋の気配ですね。関東の方は雨で大変のようですが、大丈夫でしょうか。

さて石破派結成へとの報道に、これは石破ゼミ生のさくらとしてはうれしいニュース!!!あの石破さんが「派閥の親分」になるのかと考えると、なんだかとても不思議な気分ですが、どう考えても親分というより宣教師というか、あの誠実さと使命感の強さはまさにミッショナリー精神ではないかとさくらは思ってしまうのです(実際4代前のご先祖は新島襄と一緒に同志社を作られ、本当に宣教に身を捧げられた方だったらしいですが)。公式には自民党に“派閥”は存在せず、一応“政策集団”という位置付けになっているのですが、石破さんが率いるなら本当の意味での政策集団ができるのではないかと楽しみです☆

「永田町通信」時代のさくらをご存知の方は、石破ゼミで安保密教を楽しく学んでいた様子を覚えておられると思いますが、あのとき学んだことはいまも私の基礎となっています。総裁はやはり取りに行くべきものであり、なんでここで勝負しないんだろう。。。ともどかしく思ったこともありますが、それは石破さんの良さでもあって。そしてこれはさくらの想像ですが、お父様が50歳を過ぎて生まれ、さらにお姉さんがふたりいる末っ子であるため、きっと小さい頃からケンカとかしたことなかったのではないかと。中学のとき、風紀委員を務めて「なぜこの校則を守らなければならないのか」と演説してまわっていたら煙たく思われたのか、生徒会長選挙で落選してしまい、そのショックもあって東京の高校へ進学(意外にも塾校出身というの知られていないようですが、高校大学と慶應なのです)というトラウマも影響しているのでしょうか。だけどそれもまた石破茂という人物を構成している、愛すべきエピソードだなあと思います^^

個人的にもいろいろ微笑ましいエピソードはあるのですが、政策だけでなく、「選挙の鬼」ぶりには、選挙が何より嫌いなさくらは全身全霊を傾けるお姿には本当に頭が下がるばかりでした。選挙遊説の過密さは有名ですが、移動の一分一秒を惜しむあまり、おにぎりを頬張りながら応援会場に入ってこられてみんなびっくりしたとか、真夏の選挙で街頭に立ちすぎてあまりの黒さに驚いたとか(黒焦げのおまんじゅうのようでした)、民主主義の基本である選挙に対する熱い思い、「有権者は賢いから、きちんと話せば必ず分かってくれる」という誠実さなど、有権者から信任を受けてはじめて政策を実行できるという政治家の原点をとてもとても大切にされているところは、間違いなく政界一だと思っています。

いちど自民党を出たという離党経験が、「苦しいときに後ろ足で砂をかけて出ていったやつが総裁になるなんてとんでもない」という批判が必ずつきまといますが、別に与党議員でいたかったからではなく、自分が正しいと信じる政策がこの党にいては実行することができない、という純粋さが理由であったのですから、何も後ろめたく感じることなどなく、むしろ自分を貫いたことを誇りに思っていいと思います。何を言っても、どういう行動を取ろうとも、絶対に難癖をつけられありとあらゆる角度から批判を受けるのですから、ご自分の信じる通り、思うように進んでいかれてください。さくらはこれからも石破ゼミ生であることを誇りに思いながら、断固応援しています!(^^)!

*これがいちばん好きな写真です。防衛庁長官のとき、初めて取材に伺ったときの優しい表情。やはりお若いですね!真面目に政治家を務めておられる方ほど髪は薄く白くなり、そのお顔に刻まれたご苦労を思うと、涙が出ます(T_T)

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2015.09.04

義を見てせざるは・・・

「義を見てせざるは勇無きなり」。たとえ負けると分かっていても、勝負しなければいけないときがある。男やなあ・・・ってこれ、昨今の野田聖子さんの心境らしいですが。

整体の先生に“オトコ女”認定されているさくらですが、思想や考え方は違うものの、野田聖子さんのその心意気に打たれています。
推薦人集めが難航しているようですが、20人くらい男気のある人はいてもいいというか、いないんですか???という感じです。

「オトコ女というのは、外見は女らしくしている」(整体の先生)らしいのですが、実はさくらが絶対に髪をショートにしない理由は、顔がまるいから似合わないというのもありますが、「髪まで短くしたら、さらに男になってしまうから」。
野田先生はショートカットにされてますが、絶対にパンツスーツはお召しにならなくて、その理由もやはり「スカート着てないと、男になっちゃうから」と。すごいよく分かる!!!

お仕事でご一緒させて頂いたとき、ちょうど先生のおなかに赤ちゃんがやってきたときで、会議中にタバコを吸う人たちがいて「ニコチンの害があったらどうするんだ」とハラハラしたり、いつも野田先生はミルクティーなのですが、カフェイン摂取は良くないのではと思って「他のものにしましょうか」とおたずねすると、「何で俺たちには聞いてくれないんだ」と言う人たちがいたり(さくら心の声→聞かんでもみんなちゃんと好みに応じて出してあるでしょ!!!)、妊婦さんへの気遣いゼロな人たちには困ったものでした(-_-)

いろいろ物議を醸したご出産ではありましたが、困難を乗り越えながら成長して、お父さんが支えながら廊下をパタパタと駆けていく息子さんの元気な姿を見たときは、なんとも言えずうれしかったです。

参議院では尾辻秀久先生が推薦人になっていいと言っておられるとの報道がありましたが、これまた思想は違う面があっても、先生のこういう反骨精神は好きです。党は違っても、がん対策基本法制定で共闘し、志半ばで任期途中で亡くなられた山本孝史参院議員(民主党)への弔辞は、議場を泣かせました(「先生、外は雪です!!」と絶叫した伝説の弔辞)。まともな国会論戦というのは存在していないわけでもなく、社会保障費は合理化すべきと考えるさくらも、本当に苦しんでいる人たちが助かるために使ってほしいと願わずにいられません。

尾辻先生はエキセントリックな面があるというか、経歴の面白さなどもさることながら、「だめなものは絶対にだめだ」と言う政治家の気骨や筋を通そうとする気迫というのが、思想を超越して人間としての魅力につながるのだろうと思います。

みんながみんな「全体」の顔色を窺っているというわけではなく、内心思うことはあるんだけど、「推薦人になってまで協力することはできない」という人はいるんだろうと思います(いてくれないと困ります)。

しかしそういう方々の全員が全員、単に勇気のない人たちとは言い切れず、しがらみもあるんだろうと思います。かつての力を失ったとはいえども、派閥の親分衆が揃って支持を打ち出してしまえば、義理人情の世界では「お世話になった」義理はもとより、その親分のことが好きであったりすればなおのこと、その人を裏切るようなことはできない。変だと思う政権であっても、自分の盟友や大事な人が閣僚に入っていたら、人質に取られているようなもので、討幕も倒幕もできないという事情は理解できる側面はあります。

しかし「間違いを正す力」というのがそれで削がれているとしたら、いったいどこで修正をかけることができるのでしょうか

ある選挙で、選挙事務所に放り込まれたのですが、候補者が最高にいやなやつだったので、さくらは内心「なんでこんなやつを応援しなきゃいけないんだ」と思いながら(そしてその思いがありありと顔に出ながら)、不機嫌にやり過ごしていました。

しかしそのとき、選対本部長を務めた議員が本当に一生懸命でした。県連や地方議員やいろんな人たちから「あいつはどうしようもないやつだ」等々、陰口を叩かれながらも、ご本人は先頭に立って選挙を必死でやっている。日に日に真っ黒になっていき、公選法スレスレのところであの手この手を考え出しては率先して実行し、一生懸命街頭に立って、選挙カーで回り、自分で動きすぎて時々行方不明になるくらい頑張っている。

観察していると、関係者のいろんな思惑もみえてきて(「なぜそういうふうに言っているのか」が分かるようになり)、「この人(選対本部長)、あれこれ言われてるのと違って、ほんまはええ人だ」とさくらは感じるようになりました。

ご自分も疲れているのに私たちを気遣ってくれたり、なによりその必死で選挙をやっている姿にさくらは心打たれ、「候補者は最悪だけど、選対本部長のためだと思ってやろう」と、候補者の好き嫌いは別として、自分のできる仕事をしようと、なんとか自分を励ましながらやるようになりました。

そのときに、ある地方議員の方と話していると、なぜか候補者の悪口で意気投合し、「話しにくい人なんかと思ってたら、あんた結構話せるなあ。この選挙、全然やる気なかったけど、あんたのためにやったるわ」とおっしゃってくださり、最後の一週間は真剣に動いてくれたことがありました。

接戦を制した選挙だったので、その方が取ってきてくれた票は勝利に貢献するものだったと思い本当に感謝したのですが、もちろんその方だけの働きではなく、ほかにも一生懸命やってくれた方々がいて、その全員の努力の結晶はあった。

しかしさくらにしても、その方にしても、「候補者のために」なんて露ほども思っていなかったのです。「この人のために」という思いは、それぞれ別にあったのに、全体として選挙の勝利に向けて頑張ったことになってしまった

そのときは「選対本部長の男が上がる結果になった」と喜んでいたのですが、よく考えるとそのいやなやつは当選して議員になって得をして、「いい議員」を選んだという点からは外れている

しかもその後も政権奪回のため、すなわち谷垣政権ができると思って一生懸命頑張っていたのに、よもやあんな間違った政権が再び世に出てくることになってしまい、本当に一体何だったんだろうと心底思うのです。

いまももし自民党に引き続き残っていたら、幹事長は尊敬する谷垣さんなのだから「谷垣さんのために」と割り切って仕事をできたかというと、やはり無理だと思います。

「これ以上はもう無理」と思いながらも、「石破幹事長の間は頑張ろう」と思ってやっていましたが、まさかの谷垣幹事長に決まったとき、さくらは続けるかどうか真剣に悩みました。

だけどやっぱりこれ以上続けるのは無理だと思った。身体も限界だったし、それ以上に自分のやっていることが、たとえほんの小さな働きであっても、結果的に全体として間違った方向を変えることにつながらず、むしろ個々の善意の頑張りも「間違っている全体」のなかで働くと、その間違いのなかに吸収されてしまうだけでなく、その間違いが続くのを助けることになる

「こんなの間違ってる」と分かっていることを、「これ以上は無理」という心の声に目をそむけながら続けることは、その間違いに加担することになるのは耐えられないから、私にはできない。

あのとき思い切ってよかったなと心から思っていますが、いまもあの権力の魔界の渦中におられる良識派の方々の頑張りが、「間違いを正す力」として働いているようにと祈ることはやめないでいたいと思っています。

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2015.08.23

人の“目利き”術

クーちゃんはウルトラマンのようになって寝てますが↓

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陽射しのまぶしさ強さは夏でも、モイスト感がぐっと軽くなり、空を見上げれば鰯雲。夏恒例のモクモク入道雲をほとんど見かけず→夕立ちもほとんどなく、気候変動と季節の移ろいを感じる今日この頃でございます。

先日、学生さんたちとお会いする機会があり、若いのにしっかりとしたお考えをお持ちで感心しきりでした。そこで「いろんな人を見てきた経験から、“この人はいい人だな”というのは分かるものですか?」と質問されて、ちょと考えたけど、答えはYesです。だいたいはパッと見た瞬間、どんな人か分かるようになりました。どうすれば分かるかというと、これはもう直感の世界なのですが、珍獣猛獣、果てはさまざまな魔物までいる究極の人間動物園な永田町で、サバイバルのため必要に迫られて磨かれた本能的能力なので、きっと誰でも持っているものだと思います。生存本能を脅かされるような危険な場所だと開花は早いというか、人生はドラクエなので、敵が強いところほどレベルアップも早いというか。

「どの政治家がいい人ですか」というのもいまでもよく聞かれますが、私の答えはいつも同じ。谷垣さんと石破さんです(「好きな政治家」となると、これに小泉さんが入ります)。谷垣さんは、こんな恐ろしい魔界にずっといながら、どうしてこんな清らかなままいられるんだろうといつも感動してしまいますし、泥というよりヘドロのなかでなお美しく咲く蓮の花というのはこういう人のことを言うのだと思います。石破さんは、安保密教のお師匠さんであり、広報や選挙など、いろんなお仕事を通じてたくさんのことをいつも優しく教えてくださった恩人でもあります。おふたりの温かいお人柄とすぐれた知性は、いろいろあって荒みかけた私の心を何度も持ち直させてくれましたし、「こんな素晴らしい人がいるなら、もう少しがんばってみよう」と気持ちを奮い立たせてくれたこと数知れずでした。

おふたりの共通点は、誠実さと確固たる自分をお持ちなところかな。これは小泉さんも。だからこそ、周りの環境がどうであろうと、変わらずいられるんだと思います。しかし永田町的にはなぜか評判が良くないですね。なぜかというと、「面倒をみない」から。要するに自分たちにカネを回さない、ということです。派閥の親分としてお金を配らないとか、パー券を買ったり無理な陳情を解決(役所に脅しを入れて言うことをきかせる)とか、自分たちの地元に恩恵を与えるようなことはしないとか。誠実さや知性という、政治家というより人として素晴らしい人は、強欲の論理ハロウィーンランドでは「面倒をみない=自分たちの得になることはしてくれない」という評価になってしまうのです。

有権者にも政治家を選ぶ責任というものがある、というのは正論であり私も心から感じることですが、しかし有権者が「いい政治家」を選ぶためにどういう“目利き”の仕方をすればいいのかというとなかなか難しいというのも痛感します。変な人がうっかり政治家になった場合、天網恢恢疎にして漏らさずというか、まあ2~3回選挙をすればやはり評判が悪くて自然淘汰されていくというのも事実ではあるものの、なかには「なんでこんな人が何回も選挙に通ってくるんだろう?○○何区の有権者はアホちゃうか」と思うような人もいるのですが、実態を多少見てきた人間としてこれは有権者のみを責められない側面があると感じます。というのは、すべての政治家は(普段どんなイヤなやつであっても)地元の有権者の前では「いい人」になるというのを目にしてると、この「仮面」の姿を見抜くのは、その人との多少のふれあい程度では困難であるというのも事実だと思うからです。

人を見抜くのは直感です、などと言うと主権者教育や真面目な政治理論ではない感覚の世界のようですが、実際いかにも嘘くさい笑顔のポスターやご立派そうなことが書いてある名刺なんかだけで、どういう人なのか判断するのは無理ですし、私は絶対やりません。ホームページや選挙ビラなどの文章なども信用できませんから、字面だけでは分からないその人の内面から発している思い、ハートの部分を感じ取ることが特に大切。「テレビに出てるから」「新聞に名前が出ていたから」などと安易に信用しないで、できるだけ(できれば選挙直前ではないとき)実物にふれる機会を持ってもっと動物的直感を駆使すべきだと思います。

自分の経験から言っても、実際に直接接したことのある人でないと、なかなか伝聞だけで人の評価をするのは難しいですし、実際本人と接して「言われてるような人じゃないな」と印象が変わった人というのもたくさんいるので、評判というのも参考程度にとどめておかないと目が曇ってしまいますプロフィールやHPなどに書いてあること、表面的な人当たりの良さなんかは、「こうすれば受けがいいだろう」と“作られた”ものですし、地元の人には「いい人」であってもそれ以外では別人のような人もいますし、評判が良くない人も実際会ってみるといい人だったということもありますし、あまりいろんな人の言うことや“いかにも立派そう”に見える経歴などに惑わされないようにしています。「この人はどういう人なのか」という自分の直感(第一感)は、最終的にはだいたい当たっているものなので。

もちろん例外もあって、たとえば石破さんは最初はビジュアルと独特の話し方にびっくりし、お話の内容が論理的で分かりやすすぎてさらに驚き、第一感は覚えていません(笑)だけど「この人はいったいどういう人なんだろう???」という好奇心が抑えきれず、広報のお仕事でインタビューに伺い、「いい人だなあ」としみじみ実感してそれ以来大好きになりました。でも危険を感じていたらそもそも絶対近付かないので(魔界の鉄則)、きっと直感的に安心していたんだと思います。

2015.08.15

戦後70年 No More Sacrifices.

今日は終戦記念日。70年前のこの日、日本が「これ以上やっても勝てない」と観念して、敗戦という事実をようやく受け入れた日。

その結論を、どうしてもっと早くに出せなかったんだろう。

石破ゼミで安保を学んでいたとき、教授のおすすめで『昭和17年夏の敗戦』という本があるのを知った。当時30代の若手官僚、研究者に、この戦争のシミュレーションを命じられ、彼らが出した結論は「日本がどんなに頑張っても勝てない」。物量、補給、すべてにおいて分析した結果、導き出した結論。しかし軍部はそれを無視した。“机上の空論”として。「戦争は、やってみなければ分からない」。図上演習は、都合の悪いことは起こらない図上演習と、どっちが机上の空論だったんだろう。

米国留学中、アジア人のよき友人に恵まれた。どんな話をしていてそんな話になったのか忘れたけど、マレーシア出身の友人がある日私に言ったことを覚えている。「日本軍にひどいことをされたという人たちは東南アジアには確かにたくさんいるし、親戚のなかに腕を斬られて失った人がいていまもそのことを話すと泣いている。だけどそれは、僕の腕じゃない」。戦争を語るときに、国という主体と個人との関係を考えると、日本人だからといってどんなに責められても、私個人としてやったことではないことを、私が日本を代表してその人に謝ることはできない。ただできることは、そういうことがあったということを心に留めること、つらい思いをした人たちの悲しみ苦しみに思いを致すこと。だけど国と個人を重ねて責任を論じられると、戦後生まれとしてはどうしようもなくて。「Ai、君が腕を斬ったわけではないし、国がやったことの責任を君が感じる必要はないんだよ」と言った、国際感覚豊かな彼の優しさと、また国というものに対する華僑のドライなスタンスが強く印象に残っている。

今日出された戦後70年の安倍内閣総理大臣談話(閣議決定)を読んでみて、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代のこどもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という一行は、かなり思い入れが深いのだろう。村山談話の「国策を誤り」という“抽象的な表現”を議論したうえで作成されたものだというけど、その続きの「戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ」という一文については、さほど思いが至ってないんじゃないかという気持ちがどうしても消えない。

今回の談話の歴史認識は、日本は「進むべき進路を誤り」とあるけど、その前段を読むと欧米諸国によるブロック経済化が進み、孤立化した日本が戦争に進んで行って、「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」とある。その国際情勢の変化を読んで動くのが政治であって、その選択を間違い、そして「国内の政治システム」は政党政治が機能せず軍部が台頭してきて・・・という感じで、日本のどこに「戦争に進む」という意思が醸成され、決断実行に至ったのかはよく分からない。国際情勢の変化に対応できなかったのも、戦争に進むしかなかったのも、すべては「空気」なんですとハッキリ言ってくれたほうがよほど現代に生きる私たちにとって実感がある“意思決定”なんじゃないかと思うくらい。

「尊い犠牲」と安倍総理が言うときに嫌な気持ちになるのは、国のために命を捧げるのは素晴らしいことだという前提をどうしても感じてしまうから。戦後60年の「小泉談話」は、「戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し」とある。「心ならずも」は、小泉さんが戦争を語るとき、いつもおっしゃっていた。もう国民に二度とそんな思いをさせてはならない。そんな決意をいつも感じていた。だから「尊い犠牲」とその後に続いても、私は小泉さんの心の奥にある思い、そして日本国の運命を左右する自分の決断に対する強い責任感が伝わってきた。「自分の判断の誤りが、国民を存亡の危機に陥れる」という恐怖に近い責任感、一国の運命を背負う内閣総理大臣の重圧を教えてくれたのは小泉さんだったし、イラクに自衛隊を派遣するという、自衛官に命を懸けさせるというミッションを命令する責任の重さを教えてくれたのも石破さんだった。

戦争の体験談はどの人のことばも心に重く響くものがあるけど、私は美智子皇后陛下が語るおことばからはいつも、日本国民はもとより世界の人々すべてを包み込む、人間というものに対する大きくてあたたかな慈愛を感じて心を揺さぶられる。「戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました」と語られた、昨年のお誕生日の会見(文書回答)。御自身の体験からの深い洞察、そして「でんでん虫のかなしみ」と弟橘姫のお話、悲しみを背負いながらも生きていることの喜びと希望を静かに語られたインドでのご講演は何度読み返しても、その時々の自分の学びに重なって、魂に響く。誰を責めるでもなく、そして想像もつかないような艱難を乗り越えてこられた美智子さまの、その歩みのなかで培ってこられたつよさとやさしさと深い愛を、私も少しでも持つことができるように。そしてこのことばを自分自身で実行できるように、争いや苦しみの芽となるものを摘み、そしてもう自らを犠牲にしたりさせたりすることなく、自由に幸せに生きていくことで平和をつくり出していくことができますように。

「世界のいさかいの多くが,何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で,わが国の遺族会が,一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの,自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも,今,平和の恩恵に与っている私たち皆が,絶えず平和を志向し,国内外を問わず,争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。」(平成26年お誕生日に際して)

☆カトリックでは、今日は聖母被昇天の日です

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2015.07.28

合区される県は

鳴門の渦巻きのような思考のウニ状態に疲れてきたので、たまには政治のことも書こう。

本日は国会が“正常化”して・・・というと、いったいなにが異常で正常なのかという感じですが、すべての会派が揃って審議するように戻ることがいわゆる正常化といわれるもの。与党の審議の進め方やなにやらに文句があるとき、野党が“審議拒否”という手段に出て、野党なしでも審議はやろうと思えばできるのですが、それじゃ民主主義的に体裁が悪いのでなんとか野党に戻ってきてもらうために、与党があれやこれやと譲歩したり要求を聞き入れたりして、そして「じゃあしょうがないな」と手打ちをして“正常化”と相成るわけですが、国会用語では「野党が起きる/寝る」と言い方をします。 “寝て”いる(与党からみればフテ寝のようなもの)野党に“起きて”きてもらうために、いろんな茶番のような儀式(与野党国対委員長会談や野党の幹事長会談等々)を経て、野党は何かを得た感、与党は野党にも譲歩したという謙虚感をお互いに持って何事もなかったかのようにまた審議が始まるという感じです。

だけどほんとに通しちゃうんですね、「一票の格差」是正のための参院選“改革”法案。合区を含むという、「代表なくして課税なし」という議会のあり方からして根本的に変だと感じる、こんな法律でも一旦通っちゃったら来年の参院選はこのとおり施行されるんですよね。合区なんかにされる徳島がホームタウンの身からすると、いくら人口比で一票の格差があるとはいえ、ひとつの県に一人以上の代表を選べる県があるのと、ふたつの県で一人の代表を選ぶしかない県が混在していることのほうが、よっぽどフェアじゃないと感じます。参議院の存在については、いろいろいままで思うことはありましたが、まあ二院制の方が間違いを正す機会が2回あるからいいだろうと思っていたのですが、こうなると参議院ってほんとに要るのかという気がしています。

とはいえ多少前向きに考えると、合区にされる4県の住民は、民主主義のあり方、議員選出の意味などを考えるまたとない機会を得ることになるのでしょう。もしかしたら「別に参議院議員なんていなくても困らなかった」ということが判明してしまうかもしれませんしね。何事もやってみないことには分かりませんし、「これまで当然のようにあったから、これからも絶対ないと困る」と思い込んでいるだけで、本当に絶対に必要なのかどうかということも、なくなってみなければ分からないのだと思いますし。まあ実験にされる側はたまったもんではありませんが、この際中央政府に頼らない生き方を探ってもいいのではと思います。だいたい国とのパイプがとか、陳情するときに誰を頼ればいいんだとか、そんな代表なら別に要らない気がするし、高知県も徳島県も、比較的評判のいい知事がおるわけですし、国から見捨てられるとか補助金がもらえなくなると騒いだりせず、あるいは代表が減ったからと文句を言うことで“宥め料”としてさらに補助金をもらおうと企んだりするのではなく、自分たちの県は自分たちの判断で、力で何とかするんだという気概を強め、本当の地方創生を始めるきっかけになればこんな素晴らしいことはないのではないでしょうか。

すだちくんは合区になっても、徳島県のキャラクターです☆

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2015.07.15

羊をめぐる冒険

Agricafe_2

いよいよ夏本番!!と実感する、最高の夏空を仰ぎ見る季節がやってきました☆縦長日本列島では、所によってはびっくりするほどの暑さのようですが、明日あたり台風が直撃する予定のここ徳島は、素晴らしいclear blue skyが広がっております。田んぼのなかにポツンと存在しているこのアグリカフェは、考えようによってはちょっとした南国感を味わえるうえ(必要なのは想像力です)、木のぬくもりある雰囲気と美味しいカフェごはんにひかれ、さらに看板犬のまるこ&むね丸もいて、すっかりお気に入りの場所になりました♪

今日は衆院で安保法案の採決があるようですが、いくら強行だなんだといったところで、与党が衆院で3分の2も持ってるし、60日ルールを使うのかどうか知りませんが、このままいけば通ってしまうんでしょうね。与党感覚の現場感からすれば、法案が国会に出てきた時点で話はついているので、こういう話は与党内の法案審議プロセスでどうにかしていなければ今さらどうなるものでもない、という感じです。国会審議は、ほとんどがアリバイ作りみたいなもので、野党に質問時間を与えて、閣僚が答弁して、前例に鑑みて適当と思われる審議時間を確保すれば(特別委員会設置の場合は100時間超とか)、そろそろ締め総(締めくくり総括質疑)やって、あれば法案の「のりしろ」(多少修正しても部分)で与野党が折れ合って多少野党のメンツを立ててやって・・・みたいな国会スケジュールが大体の相場観です。

「十分な審議時間」といっても、どんな話でも80時間を過ぎたくらいになると大体論点も出尽くして同じような話になってくるものだし、「国民の理解が進んでいない」といっても、信号機(青は進め、黄色は注意、赤は止まれ)みたいな交通ルールと違って、大多数の国民がこんなややこしい話を理解する日なんていつまで待っててもくるわけがありません。なのでまあだいたいのことは政府与党のスケジュールどおり、いつのまにやらどこかで勝手に話は進んでいって、気が付いたらこんなことになっていた、みたいなことになるのだと思います。客観的に描写しましたけど、ほんと傲慢ですよね。かつてのさくらも、何の疑問もなくそんなもんだと思っていました。

そうはいっても、真面目に生きている多くの人たちは日々の生活に忙しいですし、いちいち全部直接投票したり、すべてのことに通じて意見を持てと言われても大変だというので、自分たちの代わりに判断してくれる代表を議会に送っているのが代議制であり、しかしその代議士たちはいったい国会や地方議会で何をしているのかね、というのが多くの人たちの疑問であるのだと思います。永田町で観察してきた実態から申し上げると、多くの人が思ってる以上に国会議員は真面目です。遊んでばっかりいるんだろう、と思っておられる方々にとっては残念なコメントかもしれませんが、全員ではないにしても、多くの自民党議員たちは朝も早よから(8時から)部会で勉強していますし、役所からレクを受けたり、各種勉強会に参加したり、その合間にお客さんや取材を受けたりと、本当に忙しくしておられます。

でも代議士の代議士たる務めは、ただ勉強したり真面目に過ごしているだけではなくて、「判断」して投票行動を行うというところですよね。安保法案だけでなく税金の使い道から、ある人たちにとっては熱狂的に喜ぶような、しかしある人たちにとってはびっくりするほど愚かしいような「ご判断」の積み重ねが「現在」を作り上げていると考えれば、国会議員を、地方議員を選んでいるのは誰なのかといえば有権者なのであって、「政治家がバカだから政治が悪いのだ」と言うなら、では選んでいる有権者の賢さはどうなのか?ということも同時に考えなければフェアでないと思います。

現実として、ここまで中央政府が大きくなってしまうと、すべてに通じている人なんてそうめったにいないうえ、何もかも正しく判断ができる人なんて、人間は神様でないのですからこの世に存在するはずがありません。だからこそ、ひとり一人の人間が人間力を発揮しなければ、民主主義はうまく機能しない。自分たちが送った代表が何をやっているのか、日頃から関心を持って、なるべく早い段階で(国会審議なんかに至るずっと前から)働きかけていかなければ、なかなか自分たちの意見を聞いてもらおうにも、プロセス的にはtoo lateになってしまいます。一般の有権者の方々の思いをどう反映させようかと、政治家は政治家なりに考えてはいるんですよ。現状維持のため既得権益にしがみついている政治家もいる一方で、心ある人たちだっているんです。まあ考えてはいるけれどもそれがセンスが良くなかったり、あと大きいのは選挙で票をもらうために、心ならずも選挙を手伝ってくれる人たちの言うことを聞かざるを得ないとか、本当はfrustratedな人たちだっていると思います。

だけど変わらないのはなぜなのか?政治家だけを批判していても始まりません。「滅私奉公」を座右の銘とするような、昭和的価値観の一部の政治家たちの思い通りにさせないために、どうすればいいのか。ある政治家は言いました。「日本のようにおとなしい、こんな統治しやすい国民はいない」。こんなこと言われて、悔しくありませんか?私はこのことばを聞いたとき、怒りのあまり血の気が引いて倒れそうでした。「でも自分たちが選んだ代表だろ?」と開き直られたら、こっちだって考えて行動しなければなりません。牧者(政府与党)が賢くないなら、牧羊犬(マスコミなど)が良いほうへ牧者を引きずってがんばるというのもありますが、しかし羊たちが自分自身で意志を持ち、判断して動くのがいちばんの道だと思います。

7月→暑い→動物園を思い出したので(2年前のこと)、これからとくしま動物園をたずねてきます。永田町は究極の動物園のようなところですが、どこの人間社会も(家庭から会社からあらゆる集団といわれるものは)同じだと思います。望んで羊でいたいという方々は、どうぞ牧者に付いていかれてください。だけど牧者の判断能力に疑問を持つ方々は、「自分はそんなおとなしい羊なんかじゃない」と証明しましょう!!

こんな羊もいます

2015.07.13

「政治がおかしい!!」(these days more obviously)

台風が近づき、一気に気温が上がって早くもバテそうなさくらです。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

変だなと思うことが前から多かった政治ですが、昨今ますます変なので、一周回ってまともになる日が来るのかも、と考えたりしています。でもそうすると最初はまともだったのか、ということになるので、いまおかしいということは遡ってどこからおかしかったのかを考えることも必要なのでしょう。

神宮球場に(とりわけ夏に)野球を見に行くのが好きだったので、その近くにあんなブサイクな建物を、しかも採算も怪しいまま建設を決定できるという驚きのセンスに、世の中の人たちもさすがに怒っているようですが、これまでも全国各地で小さいものから大きなものまで、似たような構図で行われてきたことについてはどうお考えなのでしょうか。

Facebookのシェアで知ったので、どの新聞なのかは分からないのですが、高校生からこんな投稿があったのだそうです。

Opinion

税金タカリ勢力で構成されているハロウィーンランドに、こういう真っ当な意見が届かないのはなぜなのでしょうか。「税金を使って(民からむしり取って)政府が何かをする→関係者は潤う」という構図の下、延々と続いてきて「これまで」があるわけですが、先日の明治の産業革命期の“遺産”(100年前なんて、世界史的には昨日のことくらいに思われますが)登録を推進してそれがかなって喜んでいるような方々は、官が何かをすることで民が潤うという思想のあらわれのようにさくらは感じるわけですが、こうしたまともな感覚を持つ有権者と、あまりにも賢くなさすぎる税金の使い方をし続けてきた政府与党とのコントラストこそ世界遺産級だと思うほどです。昨秋、長崎に旅したとき、軍艦島みたいなところに行きたいと思いませんでしたけどね。なんかドラクエでいうと、ドムドーラ(昔栄えていたけど魔物に滅ぼされた廃墟)みたいな場所に思えるので。

選挙にしても、一票の格差を解消するためといいつつ、島根と鳥取、徳島と高知を“合区”とするという、地方創生を謳いながら地方の独自性を否定するようなことを同時に行う矛盾については何も感じないのでしょうか。徳島がホームタウンだから言う訳ではありませんが、高知とは文化も全然違いますし、ましてや神話に遡っても、四国はできたときからひとつの島に4つの神さまがおられたといいまうし、出雲大社のある島根はまたしても国譲りをしないといけないのかというか、選挙では「現在の都道府県ではなく、むかしの藩で見ないといけないよ。同じ県でも、文化が全然違うからね」と私はよく言われたものですが、その自民党がこういう決定をするのかということに驚きを禁じ得ません。

永田町ではほとんど出会うことがありませんでしたが、きっと日本全国には真っ当な考え方をお持ちの方々がたくさんおられるのだと思います。村社会だとか、“空気”に巻かれている人たちだけでなく、こんなすぐれたセンスを持つ人たちが力を合わせれば、きっとハロウィーンランドがheavenになるのだろうと、さくらは信じています。

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