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2015年7月の記事

2015.07.31

Family

35℃超の猛暑に、さすがにぐったりしますね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。我が家のクーちゃん(もう12歳になりました)も、こんなになって寝ています↓

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冷房による涼風が直にあたるこの場所が特等席で、のびきっています。年中毛皮を着ているので、その暑さたるやいかばかりかと拝察するのですが、ご縁あって我が家にやってきて、この日本の湿気にも耐えないといけないのが本当に気の毒に感じるのですが、西洋に暮らしていれば口にすることもなかったであろう日本のあんこやお雑炊(なんでも食べます)なんかまでもらっている姿もまた不思議な感じです。ちなみにクーちゃんはカレーが大好きなのですが、ご先祖はイギリスからインドあたりを通って日本までやってきたのかも???

さて7月も今日でおしまい。今月はじめは卒業検定→最終学科試験で緊張していたことを思うと、日々「うんてん」の経験値を積み、徳島市内周辺は普通に一人で運転して行けるようになっているのが嘘のようです。先日徳島にはめずらしい縦列駐車の機会があったのですが、ポールなしでも成功して喜んでいたら、出るのに難儀しました。ドラクエふうにいえば、「さくらは縦列駐車をとなえた!しかし出方がわからなかった!」という感じでしょうか。「剣山75km」の案内板をみて、近々挑戦したいでえすし、これからも安全運転第一で、さらにぐんぐん飛距離を伸ばして、来月は県外デビューといきたいところです!

あと今月は、いつになく家族に向き合った1か月でした。先月下旬に父が体調を崩したこともあり、いろいろ考えることがあったのですが、20年以上離れて暮らしていたので、いろんな意味で老けたなあと感じる両親についても、なかなか難儀なことは多いですね。この年になると、子どもとしてというよりひとりの人間として客観的に観察してしまいますが、日本の家族がなぜこんなに重いのかというのは、やはり「面倒をみる」という関係性に期待と義務が強すぎるからではないかなあといろんなところで感じます。だいたい政府の発想にしても、人口減少が大変なのは将来の自治体に納税してくれる人数がいなくなるからであり、移住や少子化なんかを叫んでいるのも「将来面倒をみる人を増やす」という発想なので、そんな重たい期待のなかで移住してきたり、生まれてきたりする子どもが減るのも当たり前なのではないかと感じつつ、GHQの手によるものであったとしても、いまの憲法に「封建的な家族のあり方を変えたい」と頑張ってくれたシロタさんの思いを、改めて考えています。

クーちゃんの名誉のため、ひっくり返ってない姿もご紹介。わりと男前なのです☆

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でもこの愛らしい表情は、子ども時代から変わりません。

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クーちゃんはさくら家の大事な一員であり、私にとってはmost adorable creature in the worldです☆

2015.07.29

Butterflies

昨日は1か月半ぶりに岩田に勝ち星がつきました☆\(^o^)/

谷繁監督兼選手の試合出場記録にも感嘆。メモリアルなこの日に至るまで、ずっとずっと続けてきた道のりがあるからこそ。かっこいいなあ。

あちこちで美しい蝶々さんたちを見かけるたびうれしくなるのですが、昨日はうちの庭にも5羽(「昆虫」カテゴリーに従うと5頭と表記すべきですが、エレガントさを損なうので)も集まり、元気よく飛び回っていました。優雅にというより、とてもenergeticに。阿波踊りが近いからか?蝶々さんたちも踊り込んでいるような感じでした。

乱舞の後しばらくして、そのうちの3羽がクスノキの枝に集まり、一緒に仲良く止まっていました。そーっと近付いて撮影したのですが、屋根のあたりにいるのが見えますでしょうか?

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蝶々さんたちも、こんな美しい姿になる前は、さなぎだったんですよね。学術的に正確さを期して「変態」と書くとこれまた語感が損なわれるので、ここは英語のmetamorphosisを使いましょう。How amazing, isnt it??

2015.07.28

合区される県は

鳴門の渦巻きのような思考のウニ状態に疲れてきたので、たまには政治のことも書こう。

本日は国会が“正常化”して・・・というと、いったいなにが異常で正常なのかという感じですが、すべての会派が揃って審議するように戻ることがいわゆる正常化といわれるもの。与党の審議の進め方やなにやらに文句があるとき、野党が“審議拒否”という手段に出て、野党なしでも審議はやろうと思えばできるのですが、それじゃ民主主義的に体裁が悪いのでなんとか野党に戻ってきてもらうために、与党があれやこれやと譲歩したり要求を聞き入れたりして、そして「じゃあしょうがないな」と手打ちをして“正常化”と相成るわけですが、国会用語では「野党が起きる/寝る」と言い方をします。 “寝て”いる(与党からみればフテ寝のようなもの)野党に“起きて”きてもらうために、いろんな茶番のような儀式(与野党国対委員長会談や野党の幹事長会談等々)を経て、野党は何かを得た感、与党は野党にも譲歩したという謙虚感をお互いに持って何事もなかったかのようにまた審議が始まるという感じです。

だけどほんとに通しちゃうんですね、「一票の格差」是正のための参院選“改革”法案。合区を含むという、「代表なくして課税なし」という議会のあり方からして根本的に変だと感じる、こんな法律でも一旦通っちゃったら来年の参院選はこのとおり施行されるんですよね。合区なんかにされる徳島がホームタウンの身からすると、いくら人口比で一票の格差があるとはいえ、ひとつの県に一人以上の代表を選べる県があるのと、ふたつの県で一人の代表を選ぶしかない県が混在していることのほうが、よっぽどフェアじゃないと感じます。参議院の存在については、いろいろいままで思うことはありましたが、まあ二院制の方が間違いを正す機会が2回あるからいいだろうと思っていたのですが、こうなると参議院ってほんとに要るのかという気がしています。

とはいえ多少前向きに考えると、合区にされる4県の住民は、民主主義のあり方、議員選出の意味などを考えるまたとない機会を得ることになるのでしょう。もしかしたら「別に参議院議員なんていなくても困らなかった」ということが判明してしまうかもしれませんしね。何事もやってみないことには分かりませんし、「これまで当然のようにあったから、これからも絶対ないと困る」と思い込んでいるだけで、本当に絶対に必要なのかどうかということも、なくなってみなければ分からないのだと思いますし。まあ実験にされる側はたまったもんではありませんが、この際中央政府に頼らない生き方を探ってもいいのではと思います。だいたい国とのパイプがとか、陳情するときに誰を頼ればいいんだとか、そんな代表なら別に要らない気がするし、高知県も徳島県も、比較的評判のいい知事がおるわけですし、国から見捨てられるとか補助金がもらえなくなると騒いだりせず、あるいは代表が減ったからと文句を言うことで“宥め料”としてさらに補助金をもらおうと企んだりするのではなく、自分たちの県は自分たちの判断で、力で何とかするんだという気概を強め、本当の地方創生を始めるきっかけになればこんな素晴らしいことはないのではないでしょうか。

すだちくんは合区になっても、徳島県のキャラクターです☆

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2015.07.26

How can you realize it? (Part II)

四国も昨日ようやく梅雨明けし、大好きな夏の空とおひさまギラギラで、やっと夏らしくなってきました☆朝は6時半をすぎると蝉の大合唱が始まり、自然の目覚まし時計的な感じです(ものすごい音量です)。

さて先日来、いろいろと考えてきたことの続きです(Part I)。

“See the world not as it is, but as it should be.”

このことばを日本風に解釈すると、これまた世にも恐ろしいことになることに気付きます。さくら流に訳すと、現実は直視せず、「こうあるべき」ではなく「こうであるはず」の世界を見よ。あるいは「自分たちの間違いを認めずに、“問題は起こっていない”(はずの)世界を継続することに全力をあげよ」。何かおかしい、間違っていると思うことがあっても、それを正したり軌道修正をかけるのではなく(そうすることは「これまでやってきたこと」を否定することになるため)、現在の間違いがどうしようもなく間違い続けていたとしても、「もう少し続けていけば間違いでなくなるかもしれない」との思い込みというか悲しい期待で、その間違いを続けてしまう。破滅するまで止められなかった先の敗戦やバラマキを続けなお膨張し続ける国家予算に始まり、日々の暮らしのなかでも嫌でたまらない仕事や家庭生活を続けている心理というのは、こういうものではないでしょうか。

なんでこんなアホみたいに予算を使い続けるんだろう?という疑問はいまだに続いているのですが、結局のところ根本的な問題はそのままで毎年の予算を組み続けているかぎり、このまま雪だるまがゴロゴロと転がっていくだけなんだろうな・・・と考えると寒気がしますが、問題という雪だるまは小さいときになんとかしておかなければ、大きくなったときにはもう誰の手にも負えなくなり、転げていくのを止めることはできない(どこかでガーンとクラッシュするまでは)というのは、赤毛のアンほど想像力豊かでなくとも想像がつくと思います。

Snowman

(*現実はこんなかわいらしくありません)

国家予算の使い方から日々の暮らしに至るまで共通することだと思いますが、自分のやってきたことの間違いを率直に認めて根本的なところを改めないかぎり、違う未来を創り出すことはできないように思います。多少修正をかけたり軌道修正を図ったとしても、問題解決を先送りするための時間稼ぎだったり、根本的な問題を突き詰めず目くらまし的な手直しであったりでは「問題のある現在」が続いていくだけ。虫歯の治療でもなんでも、いま多少痛くても将来もっと痛い事態に陥るならいまのうちに直してしまいたいと思うような人間からすると、「このまま続けていればこの間違いは間違いでなくなるかも」との淡い期待に基づいて、いつか破滅に至るまで(それがいますぐじゃなければ)根本解決を先送りし続けていけばいいと考えている人たちの方が世の中多いのでしょうか。

間違いだと分かっていながら間違っていると認めないのはなぜかと考えると、間違いであることを認めてしまったらこの世の終わりとばかりに、現在を全否定されてしまう恐怖で問題の先送り努力に全力を傾注してしまっているのは本当に悲劇だと思います。この世の終わりがこないように、間違いを認めて正せばいいものを、間違い続けて本当にこの世の終わりを迎えてしまう事態までそのまま突っ走るというのは、どんなに理解しようとしても理解できませんし、その人だけのこの世の終わりならそれはそれで尊重しますが、他人も巻き込むのは迷惑です。ムチャクチャな戦争に突っ込むことも、バラマキ予算を続けることもそうですが、自分が不幸なままここまできてしまったから他の人が幸せそうにしているのが許せないと足を引っ張る人たちも、問題の根は同じなように思うのです。

「我慢は美徳」の日本では、「ずっと続けること」に価値が置かれ、あれこれ試して失敗しながらも前に進んでいくよりも、ただじっと同じところにいることの方が良しとされるような雰囲気が根強くあり、そろそろなくなるかと思いながらまだなくなってくれないところをみると、やはりこれは世代的なところに原因があるのかなと感じざるを得ません。例えば仕事を途中で辞めることにしても、あるいは離婚することも、私は「無駄な我慢」を続けて心身ともに病んでしまう(そしてその不平不満のゆえに周りに迷惑をかける)くらいなら別な道を選ぶ方がずっといいと思うのですが、「我慢が足りない」「わがままだ」と言って非難する方々がいます。そういう人たちは「自由にのびのびと好きなことをしている」ということに対しても、罪悪感を感じさせようとするのが謎でたまりません。

職場環境柄、ずっとこういう変な空気(「無駄な我慢」を強要する文化圏)から自由になりたいと願っていたので、いま健康を取り戻してハッピーそのものですが(ストレスがないということでこれだけ身体が変わるのかと本当に驚くほどです)、「我慢が美徳」と思っている人たちが、なぜ自分が実践するだけでなく他人に対しても同じ我慢を強要するのかというところを突き詰めて考えると、「我慢した方がハッピー」という理由ではなく、本当はアンハッピーだからなのかなと思うのです。本当にそれをしてハッピーならみんな喜んで真似していると思いますし、自由に楽しくしているほうがハッピーだと分かってしまったら、いまの「我慢は美徳」文化圏が崩壊してしまう→こんなに我慢していたのは一体何だったんだということになる恐怖なのでしょうか。

あるべき理想をめざして日々改善努力するのではなく、現実を直視せず問題が発覚すると「あってはならないこと」と言ってお茶を濁して終わりのような社会は、私は健全だとは思いません。おかしいことはおかしいと言い、そして何が間違ってどうやって正せばいいのかを議論して、そしてよりよい明日をつくるために努力するほうが、ひたすら“我慢”し続けて結局間違っていたという未来よりもずっといい。「無駄な我慢」と、「理想に向かって努力し続ける忍耐力」はまったく違うと思うのです。

なんかまだまとまりきらないのですが、続きます!

2015.07.23

How can you realize it? (Part I)

Glee6_3
いきなり歌ったり踊ったりし始めるのに戸惑い、最初は敬遠してたけど途中から(シーズン5から)ハマってしまったGleeですが、ついに最終回。素晴らしい“未来図”が描かれていて感動的だったのですが、こうなるためは現在から続く物語があるはずであって、そしてその主人公は登場人物一人ひとりの日々の歩みの先にあるもの。結果を得る瞬間は一瞬で、人生のほとんどはそこに至るまでの努力(プロセス)なのだと改めて思います。紆余曲折があったり、天の采配により思ってもみなかった展開になったり。そのなかで、自分の進んでいる道を決めているのは運命なのかはたまた自分の力なのか?My answer is “both”です。

凄く響いて、心に残ったセリフがいくつかあって、ずっと心のなかで反芻しながら考えていたのですが、そのひとつがこちら。

“See the world not as it is, but as it should be.”

もとは“it takes a lot of bravery to look around you and see the world not as it is but as it should be.”というSueのセリフの一節ですが、直訳すれば世界を「あるがまま」に見るのではなく、「こうあるべき姿」を見よ、と。さくらの直感訳では、「世の中こんなもんだ」とあきらめて生きるのではなく、理想を描いてそれに向かって生きよ。なんという心奮い立つことばだろうと感動したのですが、これ、世の多くの日本人は間違って実践しているんじゃないかなあと思うのです。

日本という国はいろんな意味で摩訶不思議な国であると思いますし、国内では横並び同列意識が強く、「人と違う」ことを極端に恐れているわりには、国外から「日本の特異性」を指摘されると妙に嬉しいという、この描写に当てはまる世間一般的な日本人の感性というのはどこかちょっと歪んでるんじゃないかと個人的に感じてはいるのですが、色で言うと全体がねずみ色のような感じ。黒でもなく白でもない、主張のハッキリしない色というか。この“色”のなかに溶け込んでしまえない、個性の際立った“カラフルな人”だってもちろんいるのですが、共存は非常に難しいというか、そもそもねずみ色に溶け込めない人はnot welcomeなので、そんなグレーゾーンの中にいると迫害されたり排除されたりという、度重なる不幸な事態を生んできた。さらに「そういうことをするとあんなふうにひどい目に遭うことになるんだよ」とあちらこちらで異端者の物語が語り継がれることにより、「人と違ったことをしない方が身のためだ」という、“一人ひとりが「全体」のために動くことを至上の善とする文化”が強化されてきたのだと思います。

そんな日本社会における「現実的」な考え方とされるのは、「何かにチャレンジして失敗するよりは、大過なく過ぎるのが最善」とか、「何かを変えて失敗するくらいならそのままでいい」というような、とかく変化やチャレンジは歓迎されず、いろんな問題や疑問が発生してもなお、「前からこうだったんだから仕方ないし、これまでの積み上げを大きく変更することは許されない」という雰囲気の下、結局は現状維持に汲々となっているところが多いように感じます。

さらに「それをやって上手くいく保証があるならやってもいい」という、失敗を極度に恐れるあまり動けない態度が極まって生じた恐ろしい考え方が幅をきかせている。何事もやってみなければ分からないし、やってみてうまくいかなかったらやり方を変えてみるとか、やりながら修正していけばいいだけなのに、ドメスティックな硬直化した社会や組織では、失敗なんかすると「それ見たことか」と言われるのでますます何もやらなくなるという悪循環に陥っている。それをかなり多くの人たちが分かっていながら、内心「おかしい」と思いながらもそれをどうにかしようと行動することもなく放置して現在の状況に至っている、ということなのだろうと思います。現実にいま何が問題で、それを良くするために何をどうすればいいのかという「変化のための行動を起こす」ということがセットになっていないため、この国で「現実的」と口にすると諦念の響きに満ちてしまうのかもしれません。

確かに悪いことは何もしていないけど、いいこともしていないというのは、「いいことをした」と同じではありません。そしてまた「現状に不満を持っている」ことと、「その現状を変えるために行動を起こす」ことも同じではありません。なのにこの国の多くの人たちは、現状に不満タラタラであっても、それを変えるために何かするということは極端に恐れて動かずにいる。「動けない」のではなくて、「動かない」。「動けない」と言うのは、状況やなんやらいろんなことを言い訳にしつつ、実は自分の自由意思で「動かない」ということに他ならないのに。

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現実をあるがままに見つめて受け入れるということはもちろん大切なことです。しかし、「現実はまあ、こんなもんだから」と、あきらめてしまうことと同義ではない現状に甘んじる(ひたすらガマンする)ことと、現実に起きている問題を直視して具体的にどう変えていけばいいか考えて行動を起こすということも同じではないどころか、生きる態度がまるで違います。日本人というのは(とあまり一括りにしたくはないのですが)、「現状に甘んじてあきらめる」か「理想だけ語って具体的には何もしない」の二極な人たちが多くて、現実をきちんと認識したうえでどうするかロジカルに考えて、あきらめずにその実現に向かって努力する人が少ない。現実を変えるための行動を起こすのも怖くて、「あるべき理想」を語っても、そこに至るまでのプロセス(行動が伴う)がすっぽり抜け落ちた状態で議論するの好きなだけなのではないか?との思いは、昨今のいろんな政治をめぐる風景を見ていても感じることが多いです。

長くなったので、続きます!

2015.07.20

悲運の岩田

台風が過ぎると同時に梅雨明けかな、と思いきや、関東のみならず中国・近畿・東海にも先を越されてしまっている四国です。夏休みに入るころに梅雨明け、という季節感なのですが。とはいえ今朝は蝉の鳴き声も元気よく、空も青く高く、夏到来☆な感じです!

さて野球は今日から後半戦スタートですが・・・

いつになく今年はトラの試合を観ておるわけですけれども、一時首位であったときも、体感的には暗黒時代のような感じだったですね。だって、全然打てないもん。特に岩田が投げるときは、今日もそうですが、もう見るのがつらいというか、かわいそうすぎるというか。7回1失点で、なんで点が入らないんでしょう。もしよそのチームで投げたら、このひとはいったい何勝くらいできるのかと思うと。。。(ノД`)・゜・。

さくらの前半戦のベストショットはこちら。もっとこういう笑顔をたくさん見たいものです!!

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2015.07.18

お土産考

やっぱりなあ・・・というニュース。

○アンテナショップ:都内の店舗が移転・閉店 賃料高、採算難しく/徳島 毎日新聞 2015年07月14日 地方版

県産品を東京都内で販売するアンテナショップ2店が今春、移転や閉店した。賃料が高い都内では、商品の売り上げだけで採算を合わせるのは難しい。飯泉嘉門知事は13日の定例記者会見で「税金で応援を続けることは難しい。民間の工夫に期待したい」と述べた。杉並区の住宅街で昨年7月に開店した「とくしまマルシェ東京店」は、今年4月に閉店した。県の補助金は昨年度のみで、運営企業「サーブ」の担当者は「補助金なしで店舗を続ける体力がなかった」と説明した。今後は都内の催事に徳島から出張して参加する。県商工会連合会が運営する「ええもんあるでぇ徳島」は4月、銀座(中央区)のビル1階から、秋葉原(千代田区)にある全国各地の特産品を販売する商業施設「ちゃばら」内に移転した。移転後は賃料を半額程度に抑えられ、外国人旅行者も多いという。県商工会連合会の担当者は「客の声を聞き、物販の商品展開につなげたい」と話している。【蒲原明佳】

有楽町近辺にはいろんな県のアンテナショップがあり、さくらのお気に入りは交通会館内の北海道どさんこプラザのソフトクリームでしたが、東京にいながら各地方の名産が容易に手に入ってしまうので、お土産の意味がほとんどなくなってしまうということもあり、アンテナショップの存在はありがたいような、地方の値打ちを落としてしまうような存在だと感じていました。それもこれもこんな補助金が入っているから可能なものであって、地方の人たちは税金を使って自分たちの名産をPRしているつもりが、東京の人たちからすれば「東京にいても手に入るもの」とみなされてしまう結果となり、せっかくの自分たちの値打ちをみずから台無しにしてしまう補助事業であったという悲しい事実をよくかみしめられたらよいのではと思います。

だいたいお土産というのも、このお取り寄せ可能な時代において、「その地方でしか買えない」というものを探すのが本当に難しくなり、特に東京ではほとんど何でも手に入るんじゃないかと思うくらい、国内海外問わずお土産に頂いたものがそこらへんで普通に売られてたりするので、「あっこれ、このあいだ頂いたものだ」と発見するたび、がっかりしたものです。帰省するときや出張のときに持参する「東京のお土産」にしても、あの手この手を繰り出し、“名の知れた”ものであればだいたい喜んでもらえるのですが、この種の“間違いない”ような品はお取り寄せしようと思えばこれまた地方でも容易に手に入ってしまいうので値打ちがない。都内で人をたずねるときのちょっとしたお菓子とかでも、各デパ地下で揃っていますし。ピエールマルコリーニが羽田空港に出店しているのを見つけたときは、わざわざ銀座まで買いに行った手間を思うと、心底がっかりしたものでした。

とはいえお土産を頂いて本当にうれしいのは品物そのものではなくて、「わざわざ買ってきてくれた」という行動に意義があるものであるので、特にこの「わざわざ」感のあるものは和菓子(生菓子限定)、とりわけ鮮度命の豆大福(原宿の瑞穂が最高)が最も頂いて感動が発生するものだと思います。豆大福やどら焼き(うさぎや!!)は「やわらかいうちに」という時間的制約もあり、また原宿や上野に立ち寄って品川か羽田という導線的にも、なかなか地方には持って行かれないものだったので、いつか持って帰ってあげたいなあと思いつつ実現しなかったのですが、前に徳島そごうの全国銘菓のコーナーで、なんと浅草亀十のどら焼きがあったのにはびっくりしました。「あー亀十のどら焼きがある!!!」と思わず叫んだ私の声に、東京から来ていたと思われるビジネスマンたちも気付いて10個ほどまとめ買いしておられましたが、ようやく家族にもこの美味しさを届けることができたといううれしさと、この時代に「わざわざ」感のあるものを見つけるのはホンマに難しいもんやなと複雑な気持ちになったのでした。

徳島に帰ってみて、意識して探しているのは「東京にはあるけど、徳島にないので困るもの」。いまのところ、モノ関係においてはまったく困っていないという事実が明らかになりつつあります。さすがにないかなあと思っていたジョンマスターのヘッドスパも、やっている美容院を見つけましたし(ちなみに羽田でもコンディショナーとか売ってたりします)、さらに東京よりお水がいいので、髪の毛のお手入れをしてもらっても断然こちらでいるほうが調子がいい。お水がいいから当然ごはんも美味しく、食いしん坊としては東京では普通に楽しめた各国料理がないのは寂しいだろうと思っていたのですが、別にメキシカンとか毎日食べるわけでもないし、食べないと死ぬほどのものでもありませんし、たまな食堂であんなに感激していたヘルシーごはんにしても、徳島ではそれ以上と言っていいくらい素敵なカフェがたくさんあるのでうれしい驚きです。

「地元だからひいきして言っているんだろう」と思われるのがいやなので、せっせと食べ歩きをしているのですが、お世辞抜きで徳島は本当に美味しい。東京で私はいったい何にお金を払っていたんだろうという気さえしています。よく考えてみれば当たり前なのですが、わざわざ東京に“持って行った”ものと違って、そのへんで獲れた食材をおいしいお水で調理されていますし、しかも広々とした空間でゆったりとくれば、こっちでいただく方が断然満足感が高いのです。さらにはシェフたちも、東京の有名リストランテで修行してきたとか、フランスやイタリアで修行してきたとか、そんな人たちが作っているので、例えばビストロなんかはびっくりするくらいシェフの腕がすごいと言うのでなければ、違いはやはり食材の新鮮さになるので、どう考えても地方に行って美味しいものを食べるほうが幸せだろうという結論に至りつつあります。

唯一困っているのは、東京にいる大好きで大事な友達に会えないこと。まあ東京にはいつでも会いに行けるのですが、それよりもぜひこの広々空間でのゆったりごはんを大事な人たちに体験してもらいたいと考えるようになりました。補助金出してまで東京に持ち込んで売ろうとするよりも、こっちまで来て実際にここで食べてもらう方が、お互いにずっと幸せなのではと思います。

羽田→徳島60分。関東近辺に出向くよりも、実は羽田から地方に出かける方がずっと近かったりするのですよ。免許取って、車で空港まで迎えに行ってご案内することが可能になったし。なので来たれ友よ!!!I really, really miss you!!!

☆徳島名産「ちくわ」(小松島の谷商店のがいいです)は、こちらでは「チッカ」と言います。これまた東京で売られているのを見つけたときは、がっかりでした。

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2015.07.16

台風と冥王星

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台風がまさに直撃しようとしていて、暴風域に入っているわりには、あまり風雨ともにひどくない徳島市内です。先ほどから少し風は強まってきましたが、全然そんな気配もなく、変な感じです。幼稚園のとき、めちゃめちゃ強力な台風が直撃したときは、家も冠水して玄関までお水が迫ってきてこわい思いをしたことを覚えています。このときはほんとにスポッと台風の目に入ったので、一瞬青空になり、しばらくすると猛烈な吹き返しがくるという、文字通り“嵐の中心”体験をしました。

そんな思い出はあるものの、なぜか台風がくるとワクワクしてしまうんですね。「やったー明日学校が休みになる♪」といううれしさもさることながら(社会人になって、仕事が休みにならないのを知ったときはがっかりでした)、台風が過ぎ去った後の青空と空気の素晴らしさといったら☆特に秋だと、台風が過ぎるたびぐんぐん空が高くなっていって、空も空気も一層澄み渡る台風一過のbeautiful skyは、もろもろの穢れが一気に嵐によって浄化されたような清々しさだと感じます。

人生も同じですが、嵐は避けようと思っても避けられるものでもないし、何度も襲ってくる自然のサイクルのひとつ。嵐の真っ最中は暴風のなかにいるしかありませんが、それはずっと永遠に続くわけではなくて、必ず過ぎ去るものであるし、過ぎ去ったあとには必ず青空が待っている。サーファーの人たちなんかだと、波が高ければ高いほど乗りがいがあって楽しいわけですし、波が立たなければ波に乗ることはできない。そう考えれば、何がいいかは本当に分からないものだとも思いますし、そうであるからこそ自然とともにあることを楽しんでしまおうというか。何事もなく平穏なのはもちろん悪いことではありませんが、「凪タイム」がいちばん退屈なさくらは、人生波瀾万丈の方がやはり楽しいんだろうと思います☆

地上の嵐から宇宙に目を移すと、NASAの探査機New Horizonsが冥王星の姿をとらえた写真はamazing!!でした。

Pluto1
太陽系の最果ての、冥界を思わせるうら悲しい名前の星なのに、ハートがくっきり!!How romantic!!(≧▽≦)

さらにはディズニーキャラクターでおなじみのプルートまでも!!

Pluto2

ハートにしてもプルートにしても、こんなのが“たまたま”あるものなんでしょうか??(→Rule#39: There's no such thing as coincidence)

宇宙の広大さに思いを馳せると、地上で争い続ける人間の歴史が心底アホらしくなります。昨日とくしま動物園で動物さんたちを見ていても、しみじみ感じました。地上で自然の摂理から外れて共存共生できないのは、人間だけじゃないかと。動物園で動物さんたちを人間が見ているように、宇宙人たちが我々地上の人間を見ているとすると、いったいどんなふうに映っているのでしょうね。面白い星だと思っておられるのでしょうか。

世界ももっともっと見て回りたいですが、いつか絶対、宇宙旅行にも行ってみたいです☆

Mickeypluto_2

2015.07.15

羊をめぐる冒険

Agricafe_2

いよいよ夏本番!!と実感する、最高の夏空を仰ぎ見る季節がやってきました☆縦長日本列島では、所によってはびっくりするほどの暑さのようですが、明日あたり台風が直撃する予定のここ徳島は、素晴らしいclear blue skyが広がっております。田んぼのなかにポツンと存在しているこのアグリカフェは、考えようによってはちょっとした南国感を味わえるうえ(必要なのは想像力です)、木のぬくもりある雰囲気と美味しいカフェごはんにひかれ、さらに看板犬のまるこ&むね丸もいて、すっかりお気に入りの場所になりました♪

今日は衆院で安保法案の採決があるようですが、いくら強行だなんだといったところで、与党が衆院で3分の2も持ってるし、60日ルールを使うのかどうか知りませんが、このままいけば通ってしまうんでしょうね。与党感覚の現場感からすれば、法案が国会に出てきた時点で話はついているので、こういう話は与党内の法案審議プロセスでどうにかしていなければ今さらどうなるものでもない、という感じです。国会審議は、ほとんどがアリバイ作りみたいなもので、野党に質問時間を与えて、閣僚が答弁して、前例に鑑みて適当と思われる審議時間を確保すれば(特別委員会設置の場合は100時間超とか)、そろそろ締め総(締めくくり総括質疑)やって、あれば法案の「のりしろ」(多少修正しても部分)で与野党が折れ合って多少野党のメンツを立ててやって・・・みたいな国会スケジュールが大体の相場観です。

「十分な審議時間」といっても、どんな話でも80時間を過ぎたくらいになると大体論点も出尽くして同じような話になってくるものだし、「国民の理解が進んでいない」といっても、信号機(青は進め、黄色は注意、赤は止まれ)みたいな交通ルールと違って、大多数の国民がこんなややこしい話を理解する日なんていつまで待っててもくるわけがありません。なのでまあだいたいのことは政府与党のスケジュールどおり、いつのまにやらどこかで勝手に話は進んでいって、気が付いたらこんなことになっていた、みたいなことになるのだと思います。客観的に描写しましたけど、ほんと傲慢ですよね。かつてのさくらも、何の疑問もなくそんなもんだと思っていました。

そうはいっても、真面目に生きている多くの人たちは日々の生活に忙しいですし、いちいち全部直接投票したり、すべてのことに通じて意見を持てと言われても大変だというので、自分たちの代わりに判断してくれる代表を議会に送っているのが代議制であり、しかしその代議士たちはいったい国会や地方議会で何をしているのかね、というのが多くの人たちの疑問であるのだと思います。永田町で観察してきた実態から申し上げると、多くの人が思ってる以上に国会議員は真面目です。遊んでばっかりいるんだろう、と思っておられる方々にとっては残念なコメントかもしれませんが、全員ではないにしても、多くの自民党議員たちは朝も早よから(8時から)部会で勉強していますし、役所からレクを受けたり、各種勉強会に参加したり、その合間にお客さんや取材を受けたりと、本当に忙しくしておられます。

でも代議士の代議士たる務めは、ただ勉強したり真面目に過ごしているだけではなくて、「判断」して投票行動を行うというところですよね。安保法案だけでなく税金の使い道から、ある人たちにとっては熱狂的に喜ぶような、しかしある人たちにとってはびっくりするほど愚かしいような「ご判断」の積み重ねが「現在」を作り上げていると考えれば、国会議員を、地方議員を選んでいるのは誰なのかといえば有権者なのであって、「政治家がバカだから政治が悪いのだ」と言うなら、では選んでいる有権者の賢さはどうなのか?ということも同時に考えなければフェアでないと思います。

現実として、ここまで中央政府が大きくなってしまうと、すべてに通じている人なんてそうめったにいないうえ、何もかも正しく判断ができる人なんて、人間は神様でないのですからこの世に存在するはずがありません。だからこそ、ひとり一人の人間が人間力を発揮しなければ、民主主義はうまく機能しない。自分たちが送った代表が何をやっているのか、日頃から関心を持って、なるべく早い段階で(国会審議なんかに至るずっと前から)働きかけていかなければ、なかなか自分たちの意見を聞いてもらおうにも、プロセス的にはtoo lateになってしまいます。一般の有権者の方々の思いをどう反映させようかと、政治家は政治家なりに考えてはいるんですよ。現状維持のため既得権益にしがみついている政治家もいる一方で、心ある人たちだっているんです。まあ考えてはいるけれどもそれがセンスが良くなかったり、あと大きいのは選挙で票をもらうために、心ならずも選挙を手伝ってくれる人たちの言うことを聞かざるを得ないとか、本当はfrustratedな人たちだっていると思います。

だけど変わらないのはなぜなのか?政治家だけを批判していても始まりません。「滅私奉公」を座右の銘とするような、昭和的価値観の一部の政治家たちの思い通りにさせないために、どうすればいいのか。ある政治家は言いました。「日本のようにおとなしい、こんな統治しやすい国民はいない」。こんなこと言われて、悔しくありませんか?私はこのことばを聞いたとき、怒りのあまり血の気が引いて倒れそうでした。「でも自分たちが選んだ代表だろ?」と開き直られたら、こっちだって考えて行動しなければなりません。牧者(政府与党)が賢くないなら、牧羊犬(マスコミなど)が良いほうへ牧者を引きずってがんばるというのもありますが、しかし羊たちが自分自身で意志を持ち、判断して動くのがいちばんの道だと思います。

7月→暑い→動物園を思い出したので(2年前のこと)、これからとくしま動物園をたずねてきます。永田町は究極の動物園のようなところですが、どこの人間社会も(家庭から会社からあらゆる集団といわれるものは)同じだと思います。望んで羊でいたいという方々は、どうぞ牧者に付いていかれてください。だけど牧者の判断能力に疑問を持つ方々は、「自分はそんなおとなしい羊なんかじゃない」と証明しましょう!!

こんな羊もいます

2015.07.13

「政治がおかしい!!」(these days more obviously)

台風が近づき、一気に気温が上がって早くもバテそうなさくらです。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

変だなと思うことが前から多かった政治ですが、昨今ますます変なので、一周回ってまともになる日が来るのかも、と考えたりしています。でもそうすると最初はまともだったのか、ということになるので、いまおかしいということは遡ってどこからおかしかったのかを考えることも必要なのでしょう。

神宮球場に(とりわけ夏に)野球を見に行くのが好きだったので、その近くにあんなブサイクな建物を、しかも採算も怪しいまま建設を決定できるという驚きのセンスに、世の中の人たちもさすがに怒っているようですが、これまでも全国各地で小さいものから大きなものまで、似たような構図で行われてきたことについてはどうお考えなのでしょうか。

Facebookのシェアで知ったので、どの新聞なのかは分からないのですが、高校生からこんな投稿があったのだそうです。

Opinion

税金タカリ勢力で構成されているハロウィーンランドに、こういう真っ当な意見が届かないのはなぜなのでしょうか。「税金を使って(民からむしり取って)政府が何かをする→関係者は潤う」という構図の下、延々と続いてきて「これまで」があるわけですが、先日の明治の産業革命期の“遺産”(100年前なんて、世界史的には昨日のことくらいに思われますが)登録を推進してそれがかなって喜んでいるような方々は、官が何かをすることで民が潤うという思想のあらわれのようにさくらは感じるわけですが、こうしたまともな感覚を持つ有権者と、あまりにも賢くなさすぎる税金の使い方をし続けてきた政府与党とのコントラストこそ世界遺産級だと思うほどです。昨秋、長崎に旅したとき、軍艦島みたいなところに行きたいと思いませんでしたけどね。なんかドラクエでいうと、ドムドーラ(昔栄えていたけど魔物に滅ぼされた廃墟)みたいな場所に思えるので。

選挙にしても、一票の格差を解消するためといいつつ、島根と鳥取、徳島と高知を“合区”とするという、地方創生を謳いながら地方の独自性を否定するようなことを同時に行う矛盾については何も感じないのでしょうか。徳島がホームタウンだから言う訳ではありませんが、高知とは文化も全然違いますし、ましてや神話に遡っても、四国はできたときからひとつの島に4つの神さまがおられたといいまうし、出雲大社のある島根はまたしても国譲りをしないといけないのかというか、選挙では「現在の都道府県ではなく、むかしの藩で見ないといけないよ。同じ県でも、文化が全然違うからね」と私はよく言われたものですが、その自民党がこういう決定をするのかということに驚きを禁じ得ません。

永田町ではほとんど出会うことがありませんでしたが、きっと日本全国には真っ当な考え方をお持ちの方々がたくさんおられるのだと思います。村社会だとか、“空気”に巻かれている人たちだけでなく、こんなすぐれたセンスを持つ人たちが力を合わせれば、きっとハロウィーンランドがheavenになるのだろうと、さくらは信じています。

2015.07.11

眉山

「はじめてのおつかい」のわりには、遠出をしているさくらです。

「免許取ったら、車の運転は毎日しーよ」と地元の親友夫妻からのアドバイスどおり、上手になるためには練習練習と思い、どこに行こうかな?と直感的に出かけているのですが、昨日はふと思い立って眉山(びざん)に行ってきました。

鳴門の大麻はんにしても、徳島市内の眉山にしても、初心者がひとりでいきなり行くようなところではないのかもしれませんが、教習所で習ったすべてのことを実戦で実践している感じです。車線変更が恐怖なので、ナビどおりにレーンの移動が事前にできなくて行きつ戻りつしたりしつつ、いまここで曲がってもええんかな?とモタモタと左折していたら後ろから直進したい車にブーと鳴らされたり。こういうことされるとやはり悔しいので、練習するしかありません。

徳島市内にあるこの眉山は、わが母校の校歌では「まゆやま」と歌うのですが、眉毛くらいのなだらかさなのですが、上からの景色は市内が一望できてなかなか素敵です。

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自分の生まれ育ったところはこんなとこなのかというか、改めてのどかでええとこやなーと感じます。海の近くで(というか、河口のそばというか)育った全員がこんな人間になるわけではないのかもしれませんが、発展しているという意味ではなく空間的に「ひらけて」る場所じゃないとuncomfortableになるのは、育った環境の影響はあると思います。ペンシルベニアの田舎にいたときは、内陸部で山に囲まれていたので、なんかいつも微妙に圧迫感がありました。物理的だけではなく、精神的にも自由でいたいので、魔界が苦痛だったのもno wonderというか。空と海がのびのびと広がり、自由でオープンなところが好きなのです。自由を愛する市高(いちこう)スピリットは、さくらの魂のコアな部分です☆

とはいえ、市内と逆側になると、こんな眺めです。

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「四国のほとんどは平野部である」と思い込んでいたのですが、それは自分が自転車で移動できる範囲がすべてだった行動半径の狭さからくる壮大なカンチガイで、四国のほとんどは秘境といってもいいくらい、山だらけです。向こうに見えるのは剣山(つるぎさん)。サテライトオフィスで昨今有名な神山方面はこちら側かな。神さまの山という地名なので、やはり霊峰というか、神秘的な感じがします。

バカと煙は高いとこにのぼるとか言われますが、踊れない阿呆のさくらは、高いところは苦手なわりに、標高わずか280mの眉山でもなんだか少し空に近づいた感じでうれしくなりました。写真は取れなかったのですが、ニャーと鳴きながら、こわがりもせず近付きもせず歩いてくる猫ちゃんがいたり、美しいバタフライがお花の蜜を吸っていたり(チュウチュウを通り越して、ゴクゴクという感じの勢いでした)、のどかで素晴らしいのですが、実は結構危険もひそんでいたりします。

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油断なりませんが、山の上でも結構暑かったので、休息所でひとやすみ。

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やはりここでもソフトクリーム!!(≧▽≦)

クリームの写真にちょと映り込んでいますが、駅前から少し歩いて、ロープウェイでも上がってこれます。思い出すと高校生の遠足では歩いて登った眉山を、まさか自分で運転して車で上まで来れるようになるとは・・・と感慨深かったです。教習所ではこんなS字カーブなんて現実にないだろうと思ってましたが、結構なカーブの連続で、いい練習になりました(笑)いきなりひとりで行ってしまうあたり、勇敢というより無謀なのかもしれませんが、難しいことに挑戦しないと面白くない。無難だけど平穏な道と、苦労はあるけど面白い道があれば、迷わず面白い方を取りたいさくらですが、人生は「ガンガンいこうぜ」であっても、運転は「いのちだいじに」でいきます!!

この神秘的な剣山にとても心ひかれているので、近々の挑戦を企み中です☆

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2015.07.10

安全祈願

阿波踊りに向けて、あちこちで踊りの練習に熱がこもっているのか、夜はあちらこちらから鳴り物の音が響いています。東京のお盆は7月ですが、ここ徳島市内では、8月の旧盆の時期に踊りまくるという次第です。

免許を取ったらまずおたずねしたいと思っていたのが、阿波一の宮である大麻比古神社。徳島は麻を朝廷に献上していた・・・というかいまでも天皇陛下の代替わり(というんでしょうか)の際の儀式に使う衣装の麻を納めているのだそうです。徳島で読めない地名のひとつに麻植郡(おえぐん)がありますが、このあたりの歴史は徳島市内にある温泉・あらたえの湯の「あらたえ」の由来になっています。麻は軽々に扱えるものではなく、大麻取締法があるくらいなので、ご神事に使った麻を燃やすときは県警の方々が立ち会い、警察の確認のもとに行うのだと神主さんから教えていただいたときはびっくりしました。

これから車を運転することになるので、神様にそのご報告と、一生無事故無違反でいられるように交通安全の御守りをいただいてきました。御守りは毎年更新しないといけないですが、これは自分の決意をあらたにするという大事なritualにしたいと思っています。だから安全協会とやらにお金を納めて、“全国交通安全運動”なんてわざわざやってくれなくても、各ドライバーがそれぞれ自主的に交通安全に日々取り組めばいいのだと思います。いやいやその意識を高めるためにやってるんですと言われそうですが、「そんな意義ある活動なのであれば、他人の懐から取ってやらずにご自分のお金でどうぞ」という感じですが。

さくらはカトリックではあるものの、何の違和感もなく神社にもお寺にも参拝しますし、御守りだけでなくおみくじも頂きます。おみくじは神様からのメッセージだと思うので。そういうことをするなんて、と怒る人もいるかもしれませんが、運転するまえに十字を切り、神様と守護天使に道中の安全をお願いすることも、阿波の国の神様にごあいさつ申し上げることも、私のなかでは何の疑問もなく両立しているのです。自然のなかに神聖なものの存在を感じることができるという意味では、神様はeverywhereであると思いますし、行きにNHKFMをつけたら聖フランシスコゆかりの曲がかかっていて、そこにもまた天の采配を感じたり。太陽をはじめ自然を賛美し、小鳥さんたちにも語りかけたという感性は、マテリアルワールドで感性が閉じてしまった現代日本人よりも本質的にはずっと日本人に近い・・・というよりも、人間のなかにある普遍的な感性なのだろうと思います。「カトリック」にしても「普遍の」という意味ですが、それは自分たちの宗教こそ唯一絶対正しく世を支配するものであるという厚かましい考えではないと思っています。

小雨が降っていたのですが、神様にごあいさつ申し上げたあとに太陽の光が差し込んできて。樹齢千年というクスノキが優しく包み込むように枝を伸ばしている木陰でひととき過ごすと、「サルに注意」という看板と、このholyさのミスマッチもまたいとをかしという感じでした。

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2015.07.08

花の名前

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今日は免許を取ってはじめて(すなわち生まれてはじめてですが)、ひとりで車を運転して出かけました。こわいので通ったことのある道だけを行き、20分ちょっとの美容院までの「はじめてのおつかい」でしたが、これまではいつも誰かが隣に乗ってくれていたため、かなり緊張でした。このところの緊張もヘッドマッサージでほぐしてもらい、髪もキレイに整えてもらって、なんとか無事帰ってこれてご機嫌です☆

「人生はドラクエ」が持論のさくらですが、「うんてん」をおぼえたことで、船を手に入れてこれまで行かれなかった大陸にいよいよ乗り込んでいっている気分です。つい1か月前の情けない状態を思い出してみても、なんか別人になったような感じでさえあります。優良ドライバーの妹・K先生のご指導により、急速にレベルアップできたのですが、特訓中は「さくらは右折のタイミングをおぼえた!」とか「バックをおぼえた!」とか、レベルアップするたびにふたりで効果音を口ずさみながら、楽しい教習でした♪さらなる経験値を積み、どんどん遠くへ出かけていくため、さらに経験値を積む=練習練習!!です。

しかし人生変わったなあ・・・としみじみ思います。このブログでも「人生はドラクエ」シリーズを綴ってきましたが(→IIIIIIIVV)、 去年のいまごろの自分から考えても、1か月前の自分でさえ別人のような気がします。もう「自民党は・・・」で始まるニュースを見たり読んだりしても、別次元で起こっている話のようであり、東京を離れてみて、物理的な距離を置いてほぼ魔界生活のデトックスは完了という感じです。自己紹介で「自民党の・・・」という“所属”を名乗ることもなくなり、報道への圧力だとか勉強会の内容が問題だどうだとかいう、聞いてるだけで窮屈そうな感じの世界から出てみて、何のしがらみもなく、ただ自分は自分であるだけというのは、とても自由で素晴らしいことだなあと思います。

実はさくらはもうひとつブログ(うめブログ)を持っておりまして、こちらは「さくらの永田町通信」後の世界というか、政治のことを書いちゃいけないということで、本当に個人的な思いを綴ってきたものです。「さくら」(当初は「あい」で始めましたが、やっぱり「さくら」がしっくりくるのでこちらでいきます。ちなみに「あい」は本名です)は政治や社会のこと、「うめ」では個人的なことをと住み分けて書いていくつもりだったのですが、「さくら」の方でほとんどのことを書いてしまっており、よく考えてみたらもう「公私の発言」を分けなくても誰からも文句は言われないんだよね、ということに気付き、この際統合しちゃえということにしました。

「うめ」は「さくら」の分身・・・というわけでもない。どちらも私自身であり、いまのさくらの思想はここでの試行錯誤がベースになっております。梅も桜も、どちらもバラ科。もがき苦しんだこともすべては糧となり、もうかくれる必要もありませんし、美しい花を咲かせていきたいです。

以前の「さくら」をご存知の方も、ご存知でない方も、Don't Stop Believing(Glee version)で!!今後とも「さくら」をよろしくお願いいたします^^

*ちなみに前の「永田町通信」は、私個人のというより、いろんな政治家のスピーチなどの「記録」として置いておきたかったので、ずっと保存はしてあったのですが、手違いで消えてしまい、いまは一部しか残っておりません。残念です(涙)

2015.07.06

Now I am a Driver!!!

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おかげさまで本日無事、普通自動車免許(AT限定)を取得することができました☆\(^o^)/

つい1か月くらい前は車を運転するなんて考えてもいなかったし、まったくできなかったことを思えば、what a change!!です。途中、本気で運転がこわかったし、何度もくじけそうになりましたが、頑張ってよかった。何かにチャレンジするというのはやはり楽しいですね。最後の免許センターでの学科試験はイケズな問題が多くて冷や汗でしたが、やはり第二段階のみきわめ→卒業検定が最大の難関でした。特にみきわめでは、バック(左&右)からの方向転換、縦列駐車があって、補講でも全然うまくいかなかったのにバックも縦列もすべて一発OKというミラクルを起こし、卒業検定は4コース中、縦列があるコースに当たりませんようにと願っていたのですが、抽選で運を天に任せるため、残り物に福があると信じて最後に抽選に行ったところ、路上のコースはいちばん難しいけどまだいちばんやりやすい右バック→方向転換で締めるという天の采配により、なんとかクリアできたので本当にうれしかったです。応援してくださり、そして口には出さないけど実はめちゃめちゃ先行きを心配してくれていた心優しき人々のおかげです。本当にありがとうございました☆

しかし減点方式というのは本当にストレスですね。たとえうまくいったところがあっても、そこで加点して逆転するチャンスもなく、ミスした瞬間有無を言わさず減点。このプレッシャーは心臓に悪いです。学科の○×もストレスでした。得意と不得意の差が激しく、不得意なところを得意分野でなんとかカバーしてきた人生のさくらにとっては、じんましんが出たストレスの理由が判明したような気がしています。

試験のあと、免許交付申請書を記入して手数料(¥2050)を支払うとき、「安全協会」に1200円納めるよう“ご要請”があったのですが、謹んでお断りしました。「交通安全運動などに使いますので、ぜひご協力をお願いしたいのですが・・・」と再度聞かれましたが、「結構です」と断固拒否。だいたい免許取るまでにどれだけお金がかかってると思ってるんだ厚かましいという気持ちであり、こういうなんやら法人の存続のためにまでなんで出さないといけないんでしょう(怒)これから乗る車を買うにしても、自動車重量税やら自動車取得税やら取られ(プラス消費税!!)、そしてそれがまたさらに道をバンバン造るのに使われ、永遠に終わりのない公共投資による“建設”を続けることになると思うと本当に暗澹たる気持ちになりますし、いつまでこんなこと続けるつもりなのかと腹立たしいかぎりです。明治期の産業革命ゆかりの地の世界遺産登録にしても、そんな“新しい”ものにどれだけの歴史的価値があるのかよく分かりませんが、国や官主導による“富国強兵”がいまも可能であり理想とする、びっくりするほど古めかしい“国/官主導”思想が透けて見えるようで、なんとも・・・(-_-)いいかげん、もうそんな時代じゃないんだということになぜ気が付かないのでしょうか。

ちなみに徳島県免許センターは、最近あたらしくできた「徳島阿波踊り空港」の前の旧徳島空港の跡地をそのまま利用しています。なんで新しく造ったんだろうという謎はあるにしても、子どもたちによるかわいらしい願いの短冊が飾られた七夕さんは素敵でした。皆さんの七夕のお願いごとは、何でしょうか?

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2015.07.02

♪Shurt Up and Dance!!

7月に入り、2015年も後半に突入ですね。季節感もよく分からなくなってきた昨今、皆さまはどういうところで時間の流れを意識されることが多いでしょうか。

時の流れはAmerican Top40で実感することの多いさくらですが、今年前半も名曲に恵まれました。さくらの上半期1位は、Walk The MoonのShut Up and Danceで決まりです!!Top40でも順調に上位にきてくれましたし、ドライブしながら聴きたい曲ですが、思わずスピードが出過ぎてしまいそうなくらい大好きです♪MTVの上半期のトップを飾ったMaroon5のSugarは曲もPVも素晴らしく、こんなサプライズがあったらあまりのうれしさに興奮して鼻血が出てしまいそうです☆

現在絶賛1位のJason DeruloWant To Want Meも好きですね。しかしこのところ特に、いいなあと思う曲が男の人と思えないような高音ボイスがやたら多いことに気付きました。全体的にそういう傾向なんでしょうかね。大好きなShut Up and Dance♪をはじめ、Maroon5もそうですし、Wiz KhalifaのSee You AgainやShaggyのI Need Your Loveとか、 Magic!のRude(PVも楽しい!)も、Ed SheeranのThinking Out Loudにしてもやっぱり高いですよね。どれも名曲ですけど。

歌と違って、実際の男の人の声は低くて渋いのが断然好みです。クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていたそうですが、さくら的には阪神の岩田の鼻がもう少し高かったら、そして声がもっと低かったら・・・という感じでしょうか。そういえば上本も声は高めですね。野球選手もそういう傾向なんでしょうか??

ともあれこれから季節はぐんぐん夏に向かっていきますね。Calvin HarrisのSummerなど聴きつつ、軽快にドライブできる日がくるように、明日無事みきわめをパスし、卒業検定へリーチをかけられるようお祈りください(>人<)

Shut_up_and_dance

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