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2015年6月の記事

2015.06.30

Center of the Universe

Carsland



こんな↑Tシャツ着て通ってるのに、縦列駐車に連続5回も失敗し、教習所の卒業が延びているさくらです。

女性の脳は男性に比べて空間認識能力に欠けていると言われますが、なんかのテストで「女性脳100%」という結果が出た(結構男気あると思ってたのに!!)さくらは、車体の大きさや車間距離がつかめないとか、何回走ってもルートを覚えられない(→同じ道でも、逆方向に向かうとまったく違う景色に見える)等々、脳の構造の違いで巷間言われていることは本当なのだといろんなところで思い知らされております。

だいたい運転教本とかほとんど見ずに、非常に感覚的に運転しているので、バックや縦列で「いま後輪がどのへんにきたときハンドル切った?」と問い詰められるとしどろもどろになり、適当に動かしているのがバレて、うまくいったのはたまたまだったと見抜かれて補講になりましたし(涙)卒業検定を通るためには、「8本目のポールが見えたときハンドルを右へ!!」とか覚えるしかありません。

車を寄せるのも苦手で、「いま車(止めとる位置)曲がっとん分かる?」とか「こんだけ右空いとる!!」「まだまだ左寄れる!!」とか指摘されても、自分はまっすぐで、自分のいるところがセンターだと思っているため、「えー(どこが曲がっとるんかいな)」と思いながら車を降りて確かめると、その曲がりっぷりに愕然とします。自分がいるところが常にcenter of the universeだと思っているのがよく分かるというか。なので世の中で“センターポジション”を得るために涙ぐましい努力を重ねている女の子たち(そしてそのために応援している男の子たち)がたくさんいるのが不思議です。センター取ったところで、「その世界のなかでのセンター」であって、その他の世界に行けば別に真ん中でもなければ、偏ってたりするものだし。どこにいても自分はセンターポジションにいるという、生き方は王道?をいくさくらも、しかし路上では殊勝に「キープレフトの原則」に従おうと思います(さすがに物理的に危ないので)。政治思想的にも、自分は真ん中くらいだろうと思っていましたが、昨今ではかなり、前よりもさらにレフト寄りに位置しているような気がしています。でも自分は常にセンター!!そしてみんなそれぞれがセンターなのだろうと思うのです。

縦列駐車に話を戻すと、先生が「徳島にいたら縦列駐車なんてほとんどすることはありません。僕も実際には1回しかやったことありませんし」と言われたのですが、そのときのことばがずっと引っかかっていました。「ああ良かった、じゃあ検定に通ったらもうしなくてもいいんだ」と私が思えないのは、「違うところに住んだとき困るから、できるようになりたい」と思うから。地方に住んでいる人は「ずっと同じところにいる」ことを前提としている人が多数のように感じているのですが、私にとってずっと同じところに住み続けるとか、一か所にずっと定住するというのはイメージしにくくて、実際いまも引っ越しの荷物はほとんどほどいてなかったりします。いまは徳島にいて、必要に迫られて免許を取ることになりましたが、本当は免許なんて一生取ることはないだろうとついこの間まで考えていたことを思うと、嘘のような変化です。

いまは「どこか違うところ」を見に行くために、自分で動ける自由を得るために運転ができるようになりたい。こんどアメリカに行ったら、絶対自分で運転して回りたいし。この広い世界の美しさを、自分の目で見て歩いて、知らない世界を、多様性を体験したい。世界中どこへ行っても、空港からレンタカーして旅に出たい。だから縦列できるようになりたいし、Be a Driver!!なのです。

Bea_driver2

2015.06.27

Love Wins!!

Whitehouse_rainbow

ホワイトハウスのライトアップ。レインボーカラーといえば、ご存知のとおり、特別な意味を持っていますよね。アメリカで同性婚にも同じ権利を認められたという判決は、東部の超保守的な田舎町で過ごしたさくらにとっても、とても心に明るい希望の光が差し込むニュースでした!

この種の話は日本の政界ではほとんど意識されない話ですが、アメリカではgay rightsはかなりの大きなissueのひとつ。ハリウッドの俳優や文化芸術人など、お金も影響力もある人たちの強い支持をバックに、大きな政治力を持っているということもありますが、根本的には同性婚(same sex marrige)だけの問題ではなく、人種や宗教などいかに異なる価値観を受け入れて尊重しあえるかどうかというところが肝なのであって。だからこそこのニュースが大きなインパクトを持ち、Love Wins!!なのだと思います。

愛とはなにか?との問いに、聖パウロの答えもあれば、先日名古屋でお会いしたインドネシアのPuniさん(she is amazing!!)の“Love is Acceptance”ということばが私のなかで最もしっくりくることばです。いいか悪いかの価値観、自分や社会の“常識”で判断するのではなく、ただその人はそういう人なんだな、と受け入れてお互いの違いを尊重すること。ただそれだけでいいのだと思います。ついつい「こうしてほしい」だとか「こうあるべきだ」などと思ってしまい、なかなか難しいときもありますが。

それでも自分以外の人が自分と違う価値観を持っていたり、姿かたちが違うからといって差別したり、自分たちと同じ扱いを受けることを許さないというメンタリティは、自分とまったく同じ人間なんてこの世に存在しない→だからこそ自分は尊い存在なのだ(天上天下唯我独尊)ということを理解していないということだと思います。結局のところ、「自分と違うものを受け入れられない」(差別したり、ナショナリズムに走ったり、自虐的になりすぎたりする)人たちというのは、自分に自信のない人たち=自尊心のバランスが悪いということなんだろうと思うのです。昨今、というかこの国では結構むかしからそうなのかもしれませんが、異論を許さない雰囲気=“空気”が支配するという状況は、自分と異なる価値観の存在を受け入れられない狭量な一部の人たちに保身のため迎合しているというだけではなく、自信のない人たちが自分たちの“正しさ”を脅かされないように必死になっている姿でもあるように見えます。

最近、ドラえもんの名作を読み返しているのですが、地球を守るために、そして友達のために勇敢に戦うのび太君たちに感動しっぱなしです。ドラちゃんのこのことばは至言だと思います。寛容が何たるかということを、逆から言うとこうですよね。

Photo

Love will prevail!!!

2015.06.26

道路造って・・・

Photo

恐怖の高速教習が無事終わりました!

雨が降っているときに高速を走るのは怖かったのですが、お祈りが通じたのか当日はお天気に恵まれ、ブーンと快適に高速(鳴門~板野)をドライブできました。「動物注意」の標識もありましたが、私の前に飛び出てくる動物さんはいなかったので、ホッとしています。

しかし。。。こんなに道バンバン作ってどないするつもりなんかいな、という気持ちがどうしても拭えません。

我が家の愛犬・クーちゃん(12歳)がやって来たときは、うちの周りは至ってのんびりしていたので、よく脱走していたクーちゃん(→自由犬)も行方不明にならずに毎回冒険から無事戻って来れていましたが、いまややたら道路が“整備”されてしまい、大きな幹線道路が近くを走るようになってからというもの、さらに高速もつながりつつあるため、驚くほど交通量が増えてしまいました。前は普通に歩いて行けたあたりにも、いまは信号を渡らないと行かれないため、信号が分からないクーちゃんがもし脱走したら・・・と考えるだけでゾッとします。さすがに年を取り&学んだこともあり、もうめったに脱走することはありませんが、お散歩でもスピードを出している車に注意しなければならず、危険度は格段にアップしました。

鳴門の海から緑深くへと伸びていく高速道路を走りながら(教習なので70kmとか80km)、阿波一の宮である大麻比古神社(地元では“おおあさはん”と呼ばれています)のすぐそばをビューンと横切るのは、神様に対して失礼な気がしたり、トンネルに入るたびに「こんなに山に穴あけて・・・」と申し訳ない気がしたり、人間の便利さ追及のために造られた道をビュンビュン飛ばして走っていることが、どうしてもjust don't feel rightな気がしてなりません。

そりゃもちろん、あらたにできた橋や道路によって便利になったことは確かだし、住民はその恩恵にあずかっているのは事実ですが、だけどここまでする必要あるんかな、と。四国8の字構想だとか、つながることで道ははじめて機能するというの分かるのですが、でも・・・いまのこの時代に、こんなふうに豊かな自然を切り拓き、ガンガン道路が造り続けられていることに、言いようのない不安を感じるのです。それこそもう「道路が通じることにより到来するバラ色の未来」のために、この先も永遠に負担し続けないといけないうえ、維持管理のためにも膨大なお金が必要になるということもそうですし(これがより恐ろしい)、いちど壊した環境は元には戻らないというのが最も胸が痛むのですが、結果的に潤っているのは土地を買ってもらった農家であるとか、建設関係であったりとか、遅れてやってきた開発による発展というか、微妙に発展途上国のような感じがしないでもなく、いったい何時代にいるのか一瞬分からなくなります。そのうちAIIBが投資に来たりするかも?!

ウグイスが住んでいた海岸沿いの林も、道路造成のためいつのまにか大幅に縮小されてしまいました。それでも健気にウグイスさんたちは美しい声を響かせてくれています。やかましい選挙カーで自分勝手な騒音をまき散らしている人々が自分たちの名前を使っているなんて知ったらどう思うのかしら、などとつい考えてしまいますが、物流が良くなるだとか、地域活性化に資するだとか、そういう人間の勝手な欲望のために犠牲にしてきたものの大きさに、改めていたたまれない思いです。

環境を大切にするとかそんなこと言っても一銭にもならんだろうとか、道路が通るのを待ち望んでいる人たちもいるんだとか言われそうですが、こんなに地球に迷惑をかけている人間の行いというものに対して、何とも思わないでいられるとしたら、それはあまりにも地球に対して失礼だと思います。人工的なものに慣れ過ぎて、自然を感じる力というものが東京生活ではかなり閉じてしまっていましたが、五感がひらいてくるとより一層、こんなふうに我が物顔でバンバン車が走っているのも、人間の傲慢さに思えてなりません。

とはいえ車がないと生活できないというのも地方の現実。だけどこの果てしない道路整備事業、あちらこちらに道路を造り続けることで、人間にどんな幸せをもたらすんだろうと思うと、もうこれ以上の犠牲を払って道路を“整備”するのはやめてほしい。道路整備と財政&環境への負担がアンバランスである限り、税金の使い方としても、地球に住まう一個の生命体としても、もうこんなの続けていくことは無理だと直感的に思うのです。

2015.06.24

安保法制に思う

Cars

カーズランド(路上)に出てみると、「左方優先」や「歩行者保護」など、しつこく教わった道路交通法どおりにすべてが動いているわけではない世界の現実に驚いています。

「仮免許教習中」の車なんか、何をするか分からないから恐ろしくて皆さんよけてくださるだろう、などと思っていた私は甘くて、毎回必ずといっていいほど「教習車か(チッ)」というような表情で後ろにピタッとくっつかれたりします。適性検査で「マイペースで協調性に欠ける」と診断されたさくらは、そんなことくらいでは動じないのですが(→むしろ「“教習中”の札が見えんのか」と思っている)、行けそうだけどむやみに突っ込んでいくのがこわくて「お先にどうぞ」と譲っていたら、「そんなとこで待たなくていい!」と先生から言われるのがいちばんのストレスです。たしかに交通の流れを読んで判断しなければならないというのは分かるのですが、譲って怒られるとは、いったいどっちが「協調性がない」行動なのか分からなくなります。

しかし「譲ると損」だと思っているドライバーが多いのは確かなようです。あんまり県民性ですべてを括るのは好きではないのですが、「徳島ではこうだ」と言われていることのひとつに、「車のマナーが悪い」というのがあるのですが、マナーが悪いからその「マナーの悪さ」に合わせるというのが前提に動いていて、そうこうしているうちにマナーが悪いのが多数派な社会が構成されてしまい、ご当地ルールというような危険な運転が幅をきかせているという現実が生まれる。「免許取るまでは一生懸命勉強するけど、取ったあとは誰も道路交通法なんて守ってないから」などと言われると、とても複雑な気持ちになります。こういう「マナーの悪さ」は今後継承されていくばかりで、どこかで「マナーの良さ」が多数に転じる日は一生こないのでしょうか。

全国一律で適用されているはずの法律であっても、「グレーゾーン」という各県警の取り締まり具合に幅があったりします。「あれはだめ、これはだめ」と書いてある道路交通法でもそうですが、「~はしてもよい(あとは全部だめ)」という書き方の公職選挙法には、恐るべき幅のグレーゾーンというのが存在します。「こういうことやってもいいんですかね?」と問い合わせると、「うーん、グレーですね」とかいう回答が返ってくると、ここは各自の「ご判断」。県によっては即アウトな場合と、何度か警告を受ける場合とかがあり、「警告が来るまではやっていい」と考えてやる場合の方が多いのかもしれません。

安保法制も公選法と同じ書き方で、「~することができる(あとは全部だめ)」な書き方なので、ややこしい解釈や「グレーゾーン」が生まれ、憲法9条も「軍備は保持しない(ただし自分たちが危なくなったときは除く)」という書き方のため、めちゃめちゃややこしい世界になっているのだと思います。「道路交通法を日本一守っているのは自衛隊の車両だ」とよく石破先生が言っておられましたが、たしかに「緊急車両」に自衛隊の車両は含まれていなかった、石破ゼミで習ったことは本当だったんだと変なところで感心したりしましたが、「法律に書いてあること実態が合っていない場合」や「法律に書いてあるけど現実には誰も守っていない」とか、実際に「共有されている認識やルール」が一定ではなく幅が大きすぎる場合、もはや法律や憲法に何を書いてあろうと、いったい何を守るのが正義なのか分からなくなってくるのではないかと思います。

集団的自衛権の話でいえば、私個人の考えでは、これまで内閣法制局が“違憲”と解釈してきた歴史を踏まえれば、歴代内閣(行政府)が「できない」と言い続けてきたのに、いきなり内閣が「やっぱりできます」と法律を出すのはさすがに変だし、そんなことしたら内閣が変わるたびに解釈が変わり法律も変えないといけないことになるから、国会(立法府)が「これまで内閣は“できません”と言ってましたが、われわれ国会が立法府に“できる”という権限を与える法律を作りましたので、どうぞ今後はおやりになってください」というのが自然だろうということで、集団的自衛権行使を行うことができる法整備は、内閣が提出する閣法ではなく、議員立法で行われるのが筋だろうと考えています。

集団的自衛権行使の是非を論ずることも大事ですが、こういうふうに内閣が解釈を変更してしまうと、そもそも最高法規たる憲法っていったい何なんだろうという疑問にぶつかります。いま通そうとしている安保法制のように、現内閣が「これまではだめだと言ってたけど、やっぱりできることにします」という法案が通ってしまえば、憲法はときの政権の考えに沿ってに、都合よく解釈されるものとなってしまい、憲法(国の最高法規)も国会(国権の最高機関)よりも強くなり、単なる執行機関である内閣(行政府)が名実ともに最上位になってしまうということになるのではないでしょうか。

感情的ではなく、実態として何をしてよくて何をしてはいけないのかという幅を、グレーだとか解釈とかの幅ができるだけ小さくて、誰が読んでも分かるような内容で法律を書いてほしいと願うのですが、巷間言われているような「集団的自衛権の行使が“違憲”かどうか」という以上に、国のあり方としてこの進め方が本当に正当性があるのかどうか、立法府におられる方々は胸に手を当ててよく考えて、「これが正しいのだ」と心から言い切れるのか、真剣に誠実に答えていただきたいです。

2015.06.21

いよいよ路上に出るの巻

恐怖の路上デビューを果たし、半泣きで教習を重ねつつ、おかげさまで学科をすべて取り終わりまして、今日は安息日のさくらです。

小さい頃に自転車に乗れるようになったり、泳げるようになったプロセスというのはあまり覚えていないのですが、水泳の場合はいきなりプールに放り込まれてワーンと大泣きしたものの、その後スクールに通っているうちに自然に泳ぎを覚えていたものでした。自転車は派手に何度か転び、「痛いから嫌だ」と練習を拒否して補助輪がなかなか外せなかったのですが、父に思いっきり押してもらって補助輪なしで発進してみたところ、あまりにこわくて思わず目をつぶってしまったら、思いがけずスーッと走りだして、「!!」とバランスを体感できて、その後スイスイと軽快に走れるようになったことを覚えています。運転もそんなふうにいくといいのですが、目をつぶって走るわけにはいきませんし、「この恐怖を克服するには、練習しかないのだ」と自分に言い聞かせて、がんばっているところです。

さてくまモングッズの幅広さには常々驚かされているのですが、今日はこんなのを見つけてしまい、思わず買ってしまいました。

Photo_2
「手ぬぐい」というジャンルはどんなふうに活用すべきかやや迷うところではあるのですが、道路標識がたくさんあって、「通行止め」や「止まれ」のほか、「くまモン優先道路」や「くまモン横断帯」というのまであって楽しいです。じんましんが出るほど道路交通法に悩まされていなければ、こんなに反応しなかったかもしれませんが、こういうのは楽しいですね(and very useful!)。

道路交通法といえば、昭和35年に制定・施行されて以来、土台部分は変わらぬままその後あらたな事態に対処すべく建て増しを重ねてきたもの。昨今話題の安保法制や公選法も同じですよね。家の建て替えやリフォームはこんなに推奨されているのに(補助まで付くのに)、法律の抜本的書き換えとなるとなぜこんなふうに建て増しを重ねていびつな形になっていくことでよしとされてきたのでしょう。木造建築の国、地震大国な国とは思えないというか。

ともあれ免許取得が視野に入りつつあるので、「初代さくら号をどの車にするか」ということが目下の議論となりつつあるのですが・・・

①絶対にぶつけるのは間違いないから、最初は中古にしたほうがよい

②「絶対ぶつけない」という決意を強固にするため、新車にしたほうがよい

という意見のあいだで揺れています。

アメリカ在住のちーちゃんのように、「かっこよくジープとかに乗ってみたい」と言うと(→夢を語るのは自由)、家族友人は「そんな大きいのに乗ったら絶対にぶつけるから、最初はコンパクトカーにしなはれ」と、ここは全会一致をみているところです。

さくら号取得にあたり、パブリックコメントも受け付けております。どっちがいいんでしょうね??

2015.06.18

主権者教育

選挙権が18歳からになったということで、主権者教育とかいうことばをよく耳にするようになりました。

もともとは憲法改正の国民投票を18歳からにしようとかいう話があって、そして民法の規定とどう整合性をとるのかということから始まったような記憶があるのですが、なんかもう10年くらい前から同じ議論を延々やってきて、公選法改正ということになり、ようやく一歩すすんだということでしょうか。

“主権者教育”という響きは、なにかこう教える人がいて教えられる人がいる感があり、受動的な感覚がするのですが、「投票する」ということは自分の意思を表明するということなので、「自分の頭で考えて、自分の意見を持つ」という能動的なものだと思います。「主権者“意識”を持つ」という意味では、別に中高生だけじゃなくて、全国民に関係ある話であると思います。

「教育の中立性の確保」なんていう人たちがいますが、多様な意見が世の中にはあるのだということを教えることが前提であれば、ある人からすれば「偏向」と感じるものであっても、それは世の中にたくさんある考え方のひとつなのである、と知るということであり、全体がそんな考えに染まってしまうというわけではありません。こういう「一方的」な影響を心配する人は、自分自身の前提が一方的であるということを表明しているようなものであり、「中立」と口にしながら、「全体」がある特定の思想に統一されるということが望ましいと考えておられる方々なのではないかと思います。

だいたい「中立」なんかあるわけがなくて、せっかく模擬投票を行った高校の事例なんかの記事を読んでいても、「政治的中立」なんかを意識せざるを得なかったばかりに結局中途半端なものになってしまった、という印象を受けました。でも高校生たちは、「どこからも文句を言われないようにする」行動はこうなるんだよ、ということが多少分かったかもしれませんし、「中立」が決して客観的でフェアであるということと同義ではないということが理解されるきっかけになったかもしれません。

報道でも教育でも、この国ではずいぶんと「中立」ということばを口にしますが、そんなものはそもそもあり得ないのだということを前提にものを考える訓練をしたほうがいいのではと思います。みんなそれぞれいろんな考え方があって、それぞれがお互いの考え方を押し付け合って争うのではなく、お互いの考え方を尊重しながら平和に共存できるように、いい塩梅を見つける努力が大切なのだろうと思います。

いろんな意見があって当然であり、いろんな考え方があっていい。どの意見も「絶対正しい」というわけでも、「絶対に間違っている」わけではない。「この世に“絶対”はない」ということをお互い共有していることと、「中立」という自分の無責任を実体のよく分からない「全体」に転嫁して黙っているということは違うと思います。

2015.06.16

Horrible driver

いよいよ路上教習デビューいたしましたさくらです。ここまできてしまって、もう引き返せないのですが、私は本気で運転するのがこわいです。

これまでなぜ免許を取らなかったかといえば、東京に暮らしていれば必要がないということもありましたが、「危ないから絶対に運転しないほうがいい」と友人知人が口を揃えて言ってくれていて、その理由に当てはまることを現にいまことごとくやっているので、私の友達は実によく私を理解してくれて(さらにそれを受けとめたうえで付き合ってくれている)と改めて感動と感謝の嵐です。

以下、「さくらが運転したらやるに違いないこと by my friends」です。

 

①アクセルとブレーキを間違えて踏む

②逆の方向指示を出しているのに気付かず、そのまま道を曲がる

③「あっ、道間違えた!!」とあわててハンドルを切る

④一方通行を逆走する

⑤バックでぶつける

等々、こんなドライバーには絶対に運転させてはいけないだろうという、私の性格を良く知る人たちの予想と指摘は、ええ、本当にいまのところほぼ全部当たっています(-_-;) ①は教習所内で何度かやりましたし、②と③は今日もやりました。④はいつかやってしまう恐れ大ですし、⑤はバックの練習でも必ずやると思います。

昨日はあまり交通量の多くない道路だったので落ち着いて運転できたのですが、今日は混んでいるバイパス道路に出て、隣で先生がいろいろおっしゃってくださることに付いていけなくて、車線を踏み、停車中のトラックをよけるタイミングが分からず、進入してくる車に気付かず直進するなど、ブレーキを踏むだけではなく、先生がハンドルを動かしてくれなかったら、あやうくぶつけるところだったということが何度もありました。

さらに車間距離が分からないので、右に寄りすぎたり(大型車が隣に来たらスレスレ)、フラフラと車線を踏んだり、後ろから来る車を確認していたらハンドルがあさっての方へ向くなど、本当に運転はやめておいたほうがいいのかもしれません。アクセルを踏むのもこわくて、50km出すのもおそるおそるで、ゆっくり行き過ぎて後続に迷惑をかけたり、ブレーキも「そんなところで踏まなくていい」と言われても、こわくてこわくて。。。(涙)

友人たちの指摘に共通するのは、「マイペースであまり周りの状況に関心がない」「あわてるとあせってすぐ動いてしまう」「急に逆の方へ行く」ということでしょうか。最初に受けた適性検査でも、「マイペースで、協調性がない」という結果が出ていたので、これは衆目一致するところなのだと思います。

しかし人生はドラクエ。「うんてん」の経験値ゼロのところから、練習して、そしてフィールドに出て実戦のなかで経験を積んでいくしかありません。次へ進むためにも、歩いて行けるところだけでなく、船を手に入れないと次へ進めないのですから。

とはいえ徳島のフィールドの敵は強いです。歩行者や自転車が「いきなりおそいかかってきた!!」なごとくバンバン飛び出してくるし、「にげる」を選んでも「しかしまわりこまれてしまった!!」とばかりに追い越されるし入ってこられるし、緊張の連続で教習所に帰り着くころには画面は黄色でヘロヘロになります。

ドラクエでは常に「ガンガンいこうぜ」なパーティを組み(例:4では勇者、アリーナ、クリフト、マーニャで、攻撃力重視が基本)、しかし全滅を避けるため良い装備を整え、十分レベルが上がるまでは次へは行かないという慎重な進め方をするのですが(現実でもこれくらい堅実だといいのですが)、運転は常にこれからもずっと、「いのちだいじに」!!!でいきます。

ああ、本当にドライバーになれるんでしょうか。。。(@_@。

Be_a_driver1

2015.06.14

“Plain Japanese” please

世の中的には安保関連法案が物議を醸しだしているようですが、目下教習所通いの身にとっては、道路交通法が夢にまで出てきそうな感じです。

学科の授業では、例によってややこしい法律特有の言い回しに翻弄されており、なんでこんな持って回った言い方をするんかいなとか、わざと分からないような書き方にしてるんじゃないかとしか思えないようなものがたくさんあります。

たとえばこの学科教本には、「~することができる」の解説が載っているのですが↓

「『○○することができます』とは・・・青色の灯火の信号は「進め」という意味ではなく、歩行者や他の車などの状況が良ければ「進んでもよい」という意味です。」

「自動車の右折方法」になると、こんな感じです↓

「自動車は、右折しようとするときは、あらかじめできるだけ道路の中央により、交差点の中心のすぐ内側を(矢印などの標識で、通行方法が指定されているときは、それに従って)徐行しながら通行しなければなりません。」

この「あらかじめできるだけ」という曖昧な言葉の意味は「30m手前までに」で、「徐行」は10km未満であり、だったらそういうふうに書いておけばいいのにと感じてしまいます。

「乗車または積載の方法」では↓

「貨物自動車に荷物を積んだとき、その見張りのため必要な最小限度の人を荷台に乗せることができます。」

「必要最小限度」とか聞くと、安保密教の教えを受けたさくらとしてはつい反応してしまうのですが、この場合の「必要な最小限度」の人は1人(荷物を降ろしたあとは×)だそうです。法律用語ってなんでこんなアホみたいな書き方をするんでしょう。ことばをこねくり回して、普通に読んでもスッと分からなくて、解釈やらなんやらがいろいろ発生して、結局のところ試験に通るためにそんなのを覚えるのに手いっぱいで、本質的なところが分からなくなってしまうしやってるうちに姑息な性格になっていきそうになるところが、なんだか似通っているような気がします。

そのむかし、アメリカでは多様性に対応するために、法律は難しく書くのではなく、誰が読んでも分かるようなPlain Englishで書かなきゃいけないということを習ったのですが、そのときは実感として分からなかったけど、NCISでもややこしい科学分析やコンピューターの専門用語を使って説明するアビーやマクギーにギブスが“English” と言うように、 「日本語で言うて」と言いたくなります。安保法案にしても、解釈でこねくり回している集団的自衛権の世界が、いったい世の中のどれくらいの人に理解共有されているんだろうと思います。

ややこしい“解釈”が生まれて、それをああだのこうだの言って延々とそれが仕事になっているような世界はもう終わりにして、誰が読んでも同じ理解となるようなPlain Japaneseで書いて、そしてそういう説明をすべきではないでしょうか。

明日からいよいよ路上教習が始まります。教習所内で30km出すのもこわかった人が高速教習なんて・・・ちなみに徳島県は高速道路が最近までなかったので(昨今やたらあちこちに出来てしまい環境が台無しですが)、高速教習はビデオ見るだけでOKだった時代があったとか。スピード出して合流もこわいですが、何より「高速でキジやタヌキに出会っても、ハンドル切ると危ないのでそのまま行ってください。残酷ですけど」という先生のことばに、よりプレッシャーを感じています。どうか私の前には動物さんたちが出てこないよう、お祈りください(>人<)

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道路標識
とか、ほんまややこしわ・・・

2015.06.11

三八(さんぱ)

びっくりするほど規制だらけの道路交通法の勉強のせいか、先週からじんましんが出始めたさくらです(→ストレスがすぐ身体に出る人)

本日なんとか、仮免許試験パスしました☆\(^o^)/

練習問題をやっているうちに、なんか性格が姑息になりそうな学科試験も無事おわり、ホッとひといきです。これから恐怖の路上教習が・・・というか、こんな怪しげな運転の人が路上で練習するなんて、周りのドライバーの皆さんにとって恐怖だと思います。S字カーブはヨロヨロとなんとか曲がりきり、練習で1回しかまともに通れたことがなかったクランクを本番で奇跡的に成功させるという微妙さ・・・(-_-;)自分でもあやうさに満ちていることが分かっているので、初心者マークを3年間くらい貼り続けようとひそかに決意しているところです。引き続きがんばります!!

さて昨日のお昼は、ひさびさに三八(さんぱ)に行ってみました。徳島のラーメンはなかなか人気があるらしいですが、濃厚こってり系な“徳島ラーメン”より、私はこの昔ながらの“支那そば”系の方が好みです。

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これは肉入り(小)ですが、最近はバラ肉とモモ肉が選べるようになっていることに気付きました。こういう好みに合わせて選択肢があるのは、うれしいシステムです。(小)とはいえ、お肉たっぷりで結構なボリュームでした。ラーメンには餃子が必須なので、お腹の具合を考えるとこれくらいでちょうどいい感じです。変わらぬ素朴な美味しさ!!

しかしもうひとつ考慮に入れなければいけないのが、ラーメン&餃子では食後感もお口もすっきりしないので、ラーメンのあとにはソフトクリーム!!これで締めなければなりません。これは徳島ならでは、なんでしょうか。

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もともとこの「三八」はソフトクリーム屋さんで、冬でも食べられる温かいものをお客さんに出したいということでラーメンも出すようになったそうですが、このソフトクリームの入れ物(?)が懐かしい感あり。クリームソーダとかはこういうのに入っていてほしいというか♪

脂っこいのあとに甘くて冷たい→さっぱり☆というのがワンセットで最高なのですが、東京ではいい具合にラーメン屋さんのそばにソフトクリームが見つけられない場合が多いかもしれません。しかし自由が丘では、いちばんやふなわカフェという素晴らしいルートでこれが可能になります。添加物フリーないちばんやでヘルシー麺(深煎りごま3種が私はいちばん好きです)、そして芋ようかんソフトで締める!!!芋ようかん自体も美味しくて大好きですが、これがソフトクリームになるとさらに夢のような美味しさになるのですよ。浅草までわざわざ行かなくても、自由が丘でも出してくれるようになったときは本気でうれしかったです。幸せな気持ちになること間違いなしです☆

2015.06.10

すだちくん

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徳島の誇るマスコットキャラクター・すだちくん。ことしは「ゆるキャラグランプリ」の出場を辞退し、県の地方創生の仕事に専念するとの意向を記者会見で発表しました。22年間勤務した農林水産部から、地方創生部に異動したそうで、考えてみれば私が高1のときの東四国国体のマスコットだったので、そのへんの「ゆるキャラ」と一緒にしてほしくない歴史と伝統ある存在なのです。徳島県内、見ない日はないというくらい、第九の鳴門ではヒゲをはやしてみたり、何にでも化けるというか変幻自在なすだちくんなので、徳島県の地方創生の取り組みには思うことは大ありですが、おしごとがんばってほしいです☆

こういう地方のキャラクターは脱力するような取り組みが多いのですが、「ご当地キャラによるCall Me Maybe」なるものは、Carley Rae Japsenもびっくりしたと思います。このすだちくんバージョンは、鳴門海峡に橋がかかって30年という時間を思うと、なんとも・・・ちなみに彼女の新曲I Really Like Youは、reallyを何回言ってるんだと気になっていたのですが、PVはトム・ハンクスが出ていてセンスいいです!

2015.06.08

球児の決断

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四国アイランドリーグ
に、あの球児が参戦することが発表されました!

阪神時代に、いまはなき赤プリ「ポトマック」でお見かけしたことがあるのですが、タバコを吸っている姿を見て「プロ野球選手なのに、いまどき喫煙者なん??」と驚いたのと、なんとなくチャラそうな雰囲気なのにがっかりしたことがあるのですが、阪神からアメリカに行って、人生大きく変わったんだなあ・・・ということを、彼のことばから感じます。「周りの人からすると普通ではないのかもしれないけど、当たり前と言う概念にとらわれると新しいものが生み出せない」いうのは、特に心に響きました。

アメリカ人の地元や家族を大切にする姿勢に人生観が変わり、それをしっかり持ち帰ってきてくれたことがさらにうれしい。男気といえば広島の黒田かもしれませんが、地元のために、そして何より未来の子どもたちのためにという気持ちは素晴らしいです。阪神なんかに戻るよりも、ずっとずっといい決断だったのではと思います。球児のこの決断を意気に感じて、私は先週、インディゴソックスの藍色会員に申し込みました。広島の“樽募金”に倣い、地元の野球チームを応援するために、地元住民が物心両面で支えないといけないと思ったのです。

政府は地方創生とやらの名の下に、人からむしり取ったお金=税金で、相も変わらず公金をあちこちに突っ込んでは無駄にしていますが、そもそもこうして国民が自分の裁量で使い道を決められる可処分所得を増やすのが筋じゃないでしょうか。行政がわざわざいったん民から吸い上げてその使い道を決めてくれなくても、自分のお金の使い道は自分で決めるという有権者の自由意思がもっと尊重されるべきですし、行政がこれ以上余計なことをしないように、自分が納めた税金の使い道について、もっともっと有権者も口を出すべきだとも強く感じるのですが、現状維持のためにこれ以上むしり取られ続けることに断固NOと言うべきだと思います。

球児の言うように、“当たり前”にがんじがらめになって動けなくなって閉塞感を感じている人たちは、「こんなもんだ」とか「こうしなければ」とか既成概念にとらわれるのではなく、あたらしいものを生み出していくことにチャレンジしていくことが大切だと思います。球児が起こしたこの新しい風をさらに大きくしていくためにも、四国に住まう者としては、アイランドリーグを大きく育てていくために多くの人たちが参加して、盛り上げていかなければいけないと感じています。

2015.06.07

鳴門の海

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梅雨のあいまのさわやかなお天気に恵まれ、鳴門へドライブしてきました。もちろんまだ免許は取れてないので、友人に乗せて行ってもらったのですが、教習所でおっかなびっくり車を動かしている人からすると、さすが阿波っ子というか、かなり荒っぽいドライバーが多い徳島で培われた運転技術に感心しつつ、いま彼女からあまり学びすぎると検定では確実に落ちるだろうというような感じでハラハラしました。そんな恐ろしいこと、そう簡単にまねできるわけもないのですが(笑)

というわけで、この美しい海をご覧ください。

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小さく映ってるのはカラスさんです。このあとパシャパシャと水浴びをして、飛び立って行きました。この景色とプールを一人占めして、気持ちよかったことでしょう☆

エクシブのゴルフ棟に一泊したものの、我々はごはんを食べてお風呂に入ってひたすらしゃべるだけでした。ここは本当に気持ちのよい場所で、海を眺めながら気の置けない友人と美味しくごはんを頂くのは幸せこのうえないことです☆あれやこれやおしゃべりしながら気分よく酔っ払い、お風呂にポチャンとつかって寝る→翌朝また元気に朝食もしっかりと。普段なら重たくて朝ごはんはパスするところですが、ひさびさの友人との再会がうれしく、調子にのって近くのカフェでランチまで食べて帰るという、楽しく美味しい週末でした♪

またいろいろご紹介していきたいのですが、徳島のカフェは大変素晴らしく、何より広々とした空間が最高です。職業病というのか、私は3つまでなら人の会話を同時に認識してしまうので、お店なんかで席につくと、前後左右のお客さんの話も同時に聞こえてしまうのです。聞こうと思わなくても、前に座っている人と普通に会話しながら、隣や後ろの人の会話もどうしても耳に入ってくるので、東京では本当に疲れました。なので席と席の間隔がゆったりしていると、周りの会話が「ざわざわ」やBGMに紛れ込んでくれるので、ストレスなく楽しい時間を過ごせるてうれしいのです。

なんでこんな変な特技が身に付いたのか分かりませんが、電話応対しながら、横からなんやかんや言ってくるのを聞きつつ、同時に部屋に入ってくる人に目を配る、などということをやっていた秘書時代に鍛えられたような気がします。みんながみんな私のようでなくても、安心して話ができるスペースというのは大事ですね。隣に誰が座ってるか分からないのに、人は実に無防備にペラペラと個人情報を開示していることには驚きます。前に都内のある場所で、絶対に関係者がいないと思って油断していたのか、わりと大きな声で行われている女子会の近くに座ったことがありました。友人の悩み相談に真剣にのりながら、いやでも話が聞こえてきてしまうので、お店を出たあと「さっき後ろに座ってた人、政治家の秘書と付き合ってるって言ってたね。話からすると、たぶんあの大臣だと思うけど」と言うと、「よくそんなの聞きながら、普通に私の話に答えられるもんだね」とびっくりされましたが、聞きたくないのに聞こえてしまうのもつらいものです。

なんで政治家は料亭やホテルなんかにしょっちゅう行くんだ!!と批判する人がいますが、誰が聞いてるかわからないところで大事な話なんてできるわけがないでしょ、と思います。大事なデートや商談にしても同じで、大切な人とはできれば個室で、ゆったりとした空間で会話と食事を楽しみたいものです。

2015.06.04

トラな日々

梅雨入り一過?今日は風さわやかな、雲ひとつない素晴らしい五月晴れ(もう6月ですが)の徳島です☆

今朝、教習所に向かう途中、緑の山々が美しく見え、川におひさまの光がきらめき、ゆったりと目の前に広がる景色がしみじみと美しく、日に日にこれまで忘れていた感覚、東京にいるときは閉じていた(閉じざるを得なかった)五感が再びひらいていくような感じです。

地方暮らしの、といよりサンテレビのある暮らしというのはこれまた実にいいもので、トラランドの我が家では毎日阪神戦を観ています(見逃した時はお昼間にスカイA)。大好きだった矢野と赤星の引退以来、実はずっと気持ち的にあまり盛り上がらなかったのですが、父がくれたプロ野球手帳2015をめくりながら観ていると、やはり愛情が湧いてきて、個人的に好きな選手も増えてきました。いまいちばん好きな上本に加えて、岩田が投げる日は力が入ります。そのぶん一昨日のような大ショックな展開には、心底落ち込むのですが(T_T)しかし打った角谷が四国アイランドリーグ出身であることから、それはそれでうれしかったりと、忙しい毎日です。鳥谷敦も頑張っていてうれしいですし、能見は本当に男前だと思いますが、やはり男前が出てくるとうれしいですし、坂や今成、俊介なんかが活躍するとこれまたうれしいですね♪

芸達者なくまモンさんはトラ仕様にもなっていました

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2015.06.02

Be a Driver!!

6月から、教習所に通い始めましたさくらです。

地方生活において車は必須、しかもせっかくアメリカにいたのに、運転免許を取らないままでした。これまでの人生、いつも誰かにrideをお願いして乗せてもらうばかりでしたが、これからは自分でいろんなところに運転して行けるようになりたいと願い、いまさらながら思い切ってチャレンジしはじめたところです。

昨年のものですが、このマツダの広告が大好きです。

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「自分の人生の、主人公になろう。」--このメッセージすべてが、すごくすごく心に響きました。

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あまりにも気に入って、日経新聞の一面広告を職場の壁にドーンと貼っていたくらいです。地下鉄(銀座線)に乗った時、「私これ好きなんだよねー」と話していた、20代のOLさんがいたし、このメッセージは、きっと多くの人の心を揺さぶったはず。

ちなみに小学校のとき、私の憧れの職業はこの球場のお姉さんでした。

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あのカートのような乗り物を、なんて呼んでるのかわからなかったけど、「リリーフカー」というのですね。プロ野球選手手帳を大事に持っていた当時の私は、選手を運んでいくあの乗り物を運転してみたくてたまりませんでした。なのに今のいままで免許を取らずにいたのは、どういうことなんだろう。小さいときの夢なんて、大人になるうちにすっかり忘れてしまっていたのかな。

無事免許が取れたら、いろいろ行ってみたいところはあるのですが、まずは阿南のアグリスタジアムまで自分で運転して行けるようになりたいです。球児が帰ってくる、四国アイランドリーグの試合を見に行くのを楽しみに、がんばります!!もちろん応援するのはインディゴソックスですわよ^^♪

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